[ようこそ、信州へ #011]金子 雅和さん(映画監督)&大林 千茱萸さん(映画家)

金子雅和(右)と大林千茱萸

 
 

「通い」の映画、信州ロケの魅力

 
 

「意思と作家性を持って映画を作り続けている人」

映画製作が困難な時代に

 
 
金子雅和さんと大林千茱萸さんの対談は、機材のデジタル化などが進んだ結果、映画の作り手が増えた現状に進んだ。一般社団法人日本映画製作者連盟によると、2000~2003年は毎年300本にも満たなかった邦画の公開作品数が、昨年は600本近くに倍増。映画をつくっても、必ず上映されるとは限らない。4月14日から東京・池袋の映画館「池袋シネマ・ロサ」で行われる特集上映は、世界に羽ばたくインディーズの映画監督に光を当てた面白い試みのひとつで、注目が集まる。
 
 

金子 「すみれ人形」の劇場公開から10年。助成企画や企業出資の作品もありますが、体制はインディペンデントで毎回製作してきました。今回の特集上映がひとつの区切りだと考えています。「アルビノの木」は2016年7月に都内での公開を皮切りに、20カ所ほど地方での上映を重ねてきました。地道な上映活動で得たものはとても大きかったですが、そこから次の作品にどうつなげるかが重要で。最新作が最高傑作であるべきだと考えるので、今までのような製作、上映方法ではなく、新しい挑戦をしていきたいと思っています。
 現在、ある助成企画コンペで大賞を受賞し、新作短編の準備を始めています。今までは山や森の中でつくる作品が多かったのですが、この作品では生まれ育った「東京」をテーマにつくります。アスファルトで埋め尽くされた東京の地面を掘ると、過去を生きた人たちの記憶が見えてくる。そんな映画です。
 
 

 
 

大林 「最新作が最高傑作であるべき」という姿勢に共感します。金子さんは過去の作品を振り返ることはあっても立ち止まらず布石にし、前に進む=つくり続ける人ですよね。それで言うと、私と映画とのかかわりは、少し特殊かもしれません。母親のおなかにいた時から両親がインディペンデントで映画を撮っていたので、自主映画の現場も、プロの現場でもスタッフとして働いてきた。ライターとして映画の宣伝にもかかわり、広告物も手掛けてきました。映画は1万本を超えるあたりから観た本数を数えることを止めて幾年月。自分でも映画をつくっている。これだけ映画と共に生きてきたのに、今、ことに強く感じるのは、映画を観たいと思っても、なかなか映画にたどり着けないという現状です。映画離れと言われて久しいけれど、そうじゃない。お金を払って映画を観たい貴重な観客を萎えさせるシステムになっている。シネコンの弊害もあるでしょう。全国のどこかで上映はされているけど、どこで、いつからいつまでという確実な情報がギリギリまで出てこない。1日1回上映ということもある。そういう現状をつくる側がきちんと把握していないし、観る側もどうやって映画がつくられているか実態を知らない。つくる人と観る人の距離を縮めるはずの業界が、興業システムに加担して離してしまった。消費されるサイクルが速いというのは、決して効率がいいわけではない、むしろ真逆なんですよね。
 フィルムでもデジタルになっても、1日に撮影できる量は限られています。森の中で撮影したら、1日で使える映像が3~5分撮れたらラッキーでしょう。朝から夜まで1日中撮影しても、2分くらいしか使えないこともしょっちゅうです。それで長編…100分くらいをつくるとなると、相当なプロフェッショナルの技術と集団でさえ、1カ月半から2カ月くらいかかる。さらに編集して、音を付けて、映画館にかけるまでの宣伝と、気が遠くなる作業を経ても、作品が多すぎて映画館での上映という出口がない。さらに、観客も先ほど言ったようなシステムを超えないと映画を観られない、映画にたどり着けないというおかしな状況になっている。
 例えば、大分県臼杵市が取り組む革新的な農業を4年間追いかけて拵(こしら)えた「100年ごはん」は、小さな田舎で、誰も知らない取り組み……でも素晴らしいことが起きていることを何とか知らせたいと思いました。映画が完成した時、宣伝費ゼロでありながら2~3の単館から上映のオファーをいただきました。とてもありがたかったのですが、この映画は既存の上映システムに合わないだろうと思ったんです。新たな上映システムを発明する必要があると。そこで、通常の映画がだいたい3時間くらいの持ち時間としたら、「100年ごはん」は1時間は上映、1時間は同じ釜の飯を食べて、その後に話をする。観て、食べて感じて、聞いて、最後に映画に登場する土に触って持ち帰る。映画を五感で体験してもらうことで物語を「他人事」ではなく「自分事」として考えるきっかけづくりをする。非常に効率は悪いけど、「効率=正義」と思えないので、時間はかかっても粘り強く伝えてゆくことが大切。3年の上映活動で6万人くらいの人が観てくれました。動き続けていれば、観る人は絶対に映画にたどり着ける。つくる人と観る人がつながっていく。そこに何か映画の可能性はあるだろうと、希望を持っています。
 金子さんは、意思と作家性を持って映画をつくり続けていて、各地での受賞など確実に力をつけ、成果も上げられている。さらに、つくってきた映画は、昔から脈々とある物語を通じて、現代をあぶり出す内容。映画を製作し続けることが難しい環境の中、きちんと進むべき道を見つめ、探り、踏ん張っていて、本当に頭が下がります。それだけに今回「池袋シネマ・ロサ」が、金子監督作品に反応して特集を組まれるということは、とても素晴らしい試みだし、若手作家の勇気につながるのではないかと思います。
 
金子 映画をつくっていると、たまに評価してくれる人がいれば、逆もあります。それでも映画を撮り続けたいと思って何とかやり続けてきました。道に迷った時、上田のコンテストで「すみれ人形」を選んでいただいた大林さんのコメントを読み返して、どれだけ励まされたか……。
 
大林 極端に言えば、スマホでも簡単に映画が撮れるようになり、作品数も増えました。東日本大震災の年は、さすがに上田市の自主制作映画コンテストに応募される方は少ないだろうと予想しましたが、結構寄せられて。でも、たった2年で震災に影響を受けたテーマの作品は消え、何事もなかったかのように流行のテーマに戻った。作品数は増えても、裾野が増えているだけ。じっくり、ちゃんと見つめることが置き去りにされて、流行を追い求めれば忘れられるのも速いという悪循環です。そういう意味で、金子さんの作品は流行ものではないことで、普遍性があって息が長い。だからこうして特集上映につながってゆく。自主映画を観て、信念を持って素晴らしい映画を撮り続けていく人を見逃さないようにと思っています。

 
 

「通い」の映画、人との出会いに導かれて

既存の枠組みを超えて

 
 
「アルビノの木」が海外でも評価される理由のひとつに、風景の豊かさがある。
同作の6割は須坂市や飯田市など長野県内で撮影された。
身近にこんな場所があったのかと、息をのむほど美しく、神秘的な風景描写に驚かされる。

 

「アルビノの木ⓒkinone

 

「アルビノの木」で印象的に映し出された飯田市上村の下栗地区ⓒkinone

 
 

金子 山や森の中などのロケ地は、ほとんど自分で探してます。今回、須坂市をメインロケ地にしたのは、2014年に開かれた「信州須坂蔵の町映画祭」に参加したのがきっかけです。映画祭の会場から1時間ほど山に登ると、撮影したいと考えていた群馬県の小串鉱山跡に入れます。宿泊もできない何もないところで、ここに通うベースとなる町を探していた中、映画祭を通じて須坂市の商工会議所の人と知り合いました。その人が「ご当地映画ではなく、この町で良い作品を撮ってくれればいい。それが将来的に町のためになるはずだから」と、内容へのリクエストはありませんでした。希有な存在です。宿泊場所や、病院や民家などのロケーションをコーディネートしてくれたことは大きかった。
 
 

「アルビノの木」では須坂市の病院や民家などが撮影のために提供されたⓒkinone

 
 

大林 まず、人との出会いがある、ということですね。
 
金子 地方ロケは、それがいいなと感じます。「すみれ人形」公開以後、別作品でロケハンした気になる場所や、旅行で見つけた場所を自分の中に貯めていきました。そのストックを「アルビノの木」では、かなり使ったんです。赤い底の川を歩くシーンの撮影地は構想し始めた2008年に出合い、絶対に撮りたいと思って。場所と物語が相乗効果を生み出しました。
 
大林 自分が撮るまでに誰かが撮らないか、焦りませんでしたか?
 
金子 この場所は行くまでが大変なので、未だに誰も……だと思います(笑)。「アルビノの木」は長野、山形、群馬で撮りましたが、ひとつの世界をつくるため、土地の地質や木の生態系などがなるべく近いところを探しました。
 ロケハンで面白かったといえば、長野県ですべて撮影し、現代の神隠し譚を描いた「逢瀬」(2013年)。上田を中心に大きく分けて3カ所ある撮影ポイントは、距離の幅が100キロほどある。なのに、後から地図で見ると、ロケ地が東西一直線に並んでいたんです。1本の映画の世界観として合うと考え、探し出した結果、地質的なつながりがあったようです。
 
大林 つくっていると、映画的なつながりが現実に寄り添っていく不思議なことが起こりますね。ハンティングの目で風景を見ていると、ついつい映画の画面の中をつくるように見てしまうところがあります。金子さんのように自分の中にストック映像があることは珍しいし、それが作品を豊かにしているのだと思います。観客として誘(いざな)ってもらう時に、全然場所が違っていても観る側には違和感なくつながるのは、そこに整合性や、流れがあるからなんです。すごい強みです。
 
金子 ひとつの作品を撮るにも、自分の中で熟成させる部分が必要だと思うんです。ロケハンにも時間をかけるんですが、撮影地を決めて終わりでなく、本番まで何回も……3回以上は通うんですよ。こうした映画づくりはインディーズだからこそできることなのかもしれません。違う時間帯、天候を見ることで、また見え方が変わってくる。天気予報もかなり調べます。1回目は表面的な格好良さやきれいさから入っても、通ううちに、空気感や、この空間のどこに人間がいて、どう動くかが徐々に見えてくるんです。通う中で演出プランを考えていく時間が大事で、でもメジャーになったらその時間をかけられないだろうことが今後の課題ですね。
 
大林 「通い」の映画だったんですね。日常の地脈を、作家が知る。通うことで、映画の豊かさにつながっていくことがわかりました。金子さんは、まず自分が撮りたいと思うものをなんとか資金を捻出して製作し、映画祭に出品していくなど既存のシステムにとらわれず、上映方法を後から探ることで可能性が広がるかも知れませんね。きょうの話を聞いて、次回作が楽しみでしょうがない監督だと改めて思いました。
 
 

「逢瀬」ⓒkinone

 
木曽ペインティングスでの「アルビノの木」上映
6月10日(日)午後1時半、木曽町文化交流センター(入場無料)
上映後、金子さんのアフタートークを予定
 

池袋シネマ・ロサでの特集上映
4月14日(土) 金子雅和監督特集上映
4月21日(土) 「アルビノの木」凱旋上映
ともに連日午後8時から、池袋シネマ・ロサ(豊島区西池袋1-37-12/03-3986-3713)

 
 

 

金子雅和 MASAKAZU KANEKO
映画監督。1978年、東京生まれ。
青山学院大在学中に
古道具屋で見つけた8mmフィルムカメラを手に入れ、
映画づくりにのめり込む。
古書店で働きながら自主制作を始め、
2003年、映画美学校に入学し、本格的に学ぶ。
2007年、修了制作の「すみれ人形」が
「うえだ城下町映画祭」自主制作映画コンテストで
審査員賞などを受賞し、翌年、劇場デビュー。
金子雅和作品特設ウェブページ

 

大林千茱萸(おおばやし・ちぐみ) CHIGUMI OHBAYASHI
映画家・料理家・食作法講師。1964年、東京生まれ。
5歳ごろから映画館に一人で通い始め、
12歳で映画「HOUSE」(大林宣彦監督/1977年)の原案を担当する。
16歳から映画についての執筆を開始。
映画「100年ごはん」(2014年)監督。
2003年から始まった「うえだ城下町映画祭」自主制作映画コンテストで
審査員を務める。
マナー(国際儀礼)講師・【ホットサンド倶楽部】主宰。
著書に「未来へつなぐ食のバトン 映画『100年ごはん』が伝える農業のいま」(筑摩書房)ほか

 
 

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