小林英樹エッセイ「帰ってきた、えんげき先生(4)」〜2011年の引っ越し〜

2011年の引っ越し

 
 11年前、「俳優」「演劇教育(ドラマ教育)」という場所に34歳で引っ越してきた。あのころは震度4や震度5の余震が続いていた毎日。荷物の整理さえ手につかず、ソファで毛布にくるまって寝ていた。何も頼るところがなく、何から始めようか。飛び込んだものの空白の数カ月だった。
 
 私が教師を辞めたのは、「演劇教育」に触れたかったからだ。これを読んで初めて理由を知る先輩・友人もいるだろう。
 

 
 当時は説明も難しく、というよりだらだら説明するのを避けていた。避けていたのはなぜか、今なら当時の自分がよく分かる。
 
 あのころは異動や退職の教師の名前は新聞に掲載された時代。3月末に載ると、何件も電話があった。「どうした?」「嘘でしょ?」「病んだか?」「大丈夫?」「嫌になった?」「苦しかったね」。いやいや、今でも「やりたい職業は?」と聞かれたら「教師」と即答する。この電話にも正しい理由は何一つ伝えなかった。
 
 20代前半の新人教師時代には、「構成的エンカウンター」を授業に取り入れていた。それは「集団での学習体験を通して、自分や相手の知らなかったことを知ったり、認めたりしながら成長することを目標に、本音と本音の交流ができる人間関係づくりを援助するための手法」。そのエクササイズやグループ学習を道徳や学活などで行っていた。少し「演劇」の要素に似た面を持つその授業が、風通しのいいコミュニケーションを形成していった。そこからエンカウンターを勉強していくと「演劇教育」という手法にたどり着く。当時、教師と同時に俳優活動をしていた私には目から鱗だった。「演劇」が教育に生かされることを知ったのだ。「エンカウンター」から「演劇教育」に方向チェンジした私は、「演劇教育」を学ぶために東京で行われるワークショップに通った。今思えば、よく身体がもったなと思う。学校、部活、練習試合、授業準備、訳の分からない教師の仕事、舞台稽古、舞台本番、ミュージカル専門学校、そしてデートね。そんな中でワークショプに通うって狂ってたな。
 

 
 「良いものは良い」と思い込む力が馬鹿らしくも高い私は、ある市の教職員代表として視察に行くことになった。1年目は、演劇を教える専門学校での授業視察。2年目は、玉川学園の演劇と社会科(社会科は私の専門)の授業視察。
 
 視察後、レポートにまとめて提出で終わり。県内の先生たちは、そんなものは冊子になってもほとんど読まない。だって私もほかのレポート読まないもん。紙の無駄。
 
 自分のクラスで「演劇教育」続けてもなんかモヤモヤ。だってもっと広まってほしいし、たくさんの先生にやってもらいたいんだもん。一人でやっていても目指すことは違うなと感じた。「よし教師辞めよう」。
 
 教師を辞めて、もっと勉強して、県内のいろんな所で紹介しよう。という考えになった私は28歳。
 
 「演劇教育」について、「あそんでるだけでは?」「何の効果があるの?」「楽しそうだね」などいろいろな言葉が飛んできた。
 
 さて、始めに書いた「教師を辞める本当の理由を説明することを避けていた」ということについて、説明しても軽く流されることを重ね、「へぇ」で終わることも多く、時には「ふ~ん」だった。だんだん説明することを避けていった自分がいたのだ。この経験が「自分がまず動いて示す」という変な思考になっていく。28歳で教師を辞めると決断し、34歳で辞職。この辞めるまでの数年の話もまたいつか書きたい。とても面白いネタだ。
 

 
 さあ、2011年の春。何も身寄りがなく、頼るところもない東京での新生活。
 
 俳優、演劇界に「演劇教育」に携わっている人が多いと知っていた私は、芸能事務所に所属し、多くの舞台に出ることになる。その過程で「ドラマティーチャー」にたくさん会えた。この流れは間違いじゃなかったと確信していく。演劇教育に携わっている人をドラマティーチャーと呼ぶが、彼らとの出会いがまた背中を押してくれた。今では一緒にワークショップ講師をしたり、共に学び合ったりしている。コロナ禍になり「演劇教育ナレッジフォーラム」を立ち上げ、学び共有の場・演劇教育を知ってもらう場を提供している。
 
 教師を辞めた私は、長野県の数多くの学校から出前授業や講演会のお話をいただき県内を飛び回っている。「え? 講演会はお話でしょ? 演劇教育関係ある?」と思われるかもしれないが、私は講演会にも演劇教育的なアクティビティを取り入れている。自分でアクティブ講演会と呼んでいる。教師時代モヤモヤしていた私、教師時代ちょっと馬鹿にされることもあった演劇教育。あれから約20年後の今、演劇教育が求められる教育現場や企業。20年か・・・。長いようで短い。本当に有難いし、自分がやってきたことがつながっていく人生は豊かだ。
 
 まだまだ目標や夢は尽きないが、演劇教育仲間と元気に突き進んで行きたい。まずは結婚しないとね。そろそろ。
 
 
 
こばやし・ひでき
2000年舞台デビュー。劇団ひまわりを経て県内劇団で活躍する。やがて中学校教師となり、並行して俳優業を行うが、2011年に教師を辞職。舞台を中心に活躍し、北島三郎公演、カムカムミニキーナ、下町ダニーローズ、ソラリネ、team6g、Superendrollerなど客演多数。また、教育現場や自治体、企業での演劇教育(ドラマ教育)や講演活動にも力を入れている。2021年1月に飯田市にて「Enziru LifeTheater 陽のあたる教室」を立ち上げる。
 
Enziru LifeTheater 陽のあたる教室主宰 こちら
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