小林英樹エッセイ「帰ってきた、えんげき先生(1)」〜復帰が早まった話〜

復帰が早まった話

 
「エッセイを書かないか」というお話を頂きました。ん~数年前に連載したことはあったが悩むなぁ。「小林さんの人生、演劇と教育、俳優、感じたことを書いてください」と。うむ、それなら書けそうだが、何から書くかやっぱり悩みます。

 
 人生を振り返り未来をイメージすると、役者→役者と教師→演劇教育→教師辞職→役者とティーチングアーティスト(ドラマティーチャー)→コロナ禍→教師復帰。
 ざっくり書くとこんな感じだが、ここで、皆様には聞き慣れない言葉が出てきます。あ! この言葉や私がやっていることだけを紹介しても原稿用紙が埋まるじゃないか。少しずつ紹介していきたいと思います。
 

 
 さて、初回は題名にもあるように「復帰が早まった話」を少しだけ書きたいと思います。
 
 
 あれは令和2年。映画「いつくしみふかき」の先行上映のために飯田市に帰省してからのことです。2月14日の初日、トキワ劇場とセンゲキシネマズはどの回も満席になりました。みなさん本当にありがとうございました。毎日の舞台挨拶も順調に進み3月の終わりに入った頃、私は大山晃一郎監督と二人で舞台挨拶をする機会がありました。その頃、そうです、新型コロナウイルス感染症が拡大しつつあった時期でした。

 

 東京は「緊急事態宣言」が出るかもしれない、もしかしたら映画の上映もストップする可能性がある、そんな状況でした。怖かったのは、得体の知れない感染症ともう一つ、東京と田舎との往来に対する厳しい周囲の目でした。

 「こばちゃん、飯田に残って舞台挨拶を続けてくれますか? 長野県担当として」

 監督の言葉に二つ返事でオッケーでした。それから一人での舞台挨拶の道がスタートしたわけです。しかし、役者としての舞台(演劇活動)はことごとく延期・中止が決まり、またドラマティーチャーとしての仕事も全て中止になりました。

 

 収入源を全て断たれた私は、どうしたのか。それもいずれ記すことにします。

 

 

 コロナ禍で生活は一変し、大きなゴールは変わらないけど、近い将来の目標ややるべきことは少しずつ変化していきました。その一つが「教師復帰」への準備です。私は教師を辞めた時から、いずれ演劇で得た経験を手に、再び復帰することを考えていました。その最初の準備、それは免許更新。教員免許の更新をしていなかった私は、更新手続き、受講、試験をクリアして教員免許を更新しました。と、ここまでがコロナ禍で思い描いたことでしたが、1本の電話がかかってきます。

 
 「4月から教師をやってくれないか」というオファーでした。少し考える時間は頂きましたが、答えは「はい」でした。

 
 そして私は令和3年4月に、10年ぶりに教師に復帰したのです。自分が思い描いていた将来より早めの復帰でした。刺激的な令和3年度の日々がスタートしたのでした。
 
 
 
こばやし・ひでき
2000年舞台デビュー。劇団ひまわりを経て県内劇団で活躍する。やがて中学校教師となり、並行して俳優業を行うが、2011年に教師を辞職。舞台を中心に活躍し、北島三郎公演、カムカムミニキーナ、下町ダニーローズ、ソラリネ、team6g、Superendrollerなど客演多数。また、教育現場や自治体、企業での演劇教育(ドラマ教育)や講演活動にも力を入れている。2021年1月に飯田市にて「Enziru LifeTheater 陽のあたる教室」を立ち上げる。
 
Enziru LifeTheater 陽のあたる教室主宰 こちら
公式ブログ「人生ネタだらけ!」 こちら
Twitter こちら
Nagano Art +インタビュー こちら
 
 

インフォメーション