【ニュース】映画『まく子』舞台あいさつで鶴岡慧子が語る
3月15日(金)に全国公開された、映画『まく子』。長野県上田市出身で、『くじらのまち』『はつ恋』『過ぐる日のやまねこ』などの作品で国内外で評価を高めている若手映画監督・鶴岡慧子の最新作だ。鶴岡監督が理事を務める上田映劇で舞台あいさつが、3月30日(土)に行われた。公式サイトは、こちら。司会は原悟氏が担当した。
今、忘れたくない、”あの頃”に涙するーー。
大人になりたくない少年が恋をした、ある大きな秘密をもつ少女。閉ざされた町に彼女が撒いたものとは? 直木賞作家・西加奈子の傑作小説がついに映画化、想像を超える、せつなくも美しい世界に生まれ変わった。主人公サトシには『真夏の方程式』で福山雅治演じる湯川と心を通わせる少年役だった山﨑光が演じ、謎の転入生コズエには圧倒的な美しさを放つ新星・新音。そして、サトシの母・明美役に、ドラマ「半分、青い。」に出演し話題の女優・須藤理彩、女好きでダメな父・光一役を草彅剛が演じ、色気を漂わせ新境地をみせる。
ひなびた温泉街の旅館の息子サトシは、小学5年生。自分の体の変化に悩み、女好きの父親に反感を抱いていた。ある日、美しい少女コズエが転入してくる。言動にどこか不思議なところがあるコズエに最初は困惑していたサトシだったが、次第に彼女に魅せられていく。そして、コズエからは「ある星から来たの」と信じがたい秘密を打ち明けられる。コズエが、やがて町の人々みんなにまいたものとは……。
かけがえのない思春期を生きるサトシの葛藤とコズエとのせつない初恋を軸に、家族を愛しつつも浮気をしてしまう父親、それを知りながら明るくふるまう母親、道ならぬ恋をする若い女性、訳あり親子・・・・・・小さな町のどこか不器用な人々を映し出す。かつて子どもだった大人たちへ、信じることや変化を恐れないこと、許すことの強さを教えてくれる、再生と感動の映画が誕生!
監督・脚本:鶴岡慧子
出演:山﨑光 新音 須藤理彩/草彅剛
配給:日活
©️2019「まく子」製作委員会/西加奈子(福音館書店)まく子
◉新作、久しぶりですね。
鶴岡 前作は『過ぐる日のやまねこ』のすぐ後に撮影したものですから3年半ぐらい空きましたね。
◉この作品が撮った後に監督とお会いしたときに、撮影がすごく楽しかったとおっしゃっていたのが印象的でした。
鶴岡 楽しかったんですよ。というのは、私が今まで作品を撮ってきた中でも、一回りくらい規模が大きい作品だったんですけど、それにもかかわらず私がやりたいようにやらせていただけたんです。それは一重に原作者の西加奈子さんのお考えのおかげなんですね。「好きに撮ってください」と先におっしゃっていただいたことで、みんながそう振る舞えたというか。西さんの許しのもとでみんなが楽しく映画づくりをしたという感じでした。
◉そういう規模が大きくなりながらも、監督にとってもステップアップがある中、西さんの原作を映画化する、これまで上田でずっと撮ってきたのに今回は群馬で撮影したりとか、チャレンジしている印象があったんです。
鶴岡 「まく子」という西さんの小説は、小説自体がすごく人気があるし、西さんご自身もすごく人気のある作家さんでいらっしゃるわけですけど、そういう方の原作を撮らせていただけるというのはチャレンジだし、チャンスだし、そういう機会はなかなかありませんよね。今回は群馬の四万温泉を拠点に群馬県周辺で撮っているんですけど、まったく新しい土地に行きながらも、今まで培ってきた感覚のまま進められたという感じでした。
◉エンドロールに知っている名前がほとんどありませんでした。新しい仲間とつくっているんだなと感じたんですけど、それもすごいチャレンジ。
鶴岡 そうなんです。西さんからの唯一のリクエストが「若い方たちで撮ってください、私の原作を映像化する場合は新人さんを一人でも入れてください」みたいなリクエストがあったんです。西さんご自身が公募の文学賞でデビューされたのではなく、編集者との出会いからチャンスをいただいてデビューしたという経緯がおありなので、自分の作品を踏み台というわけではありませんが、チャンスだからこそ若い人たちを起用してほしいと。ですから私自身も嬉々として若い人たちを集めたんです(笑)。
◉「まく子」を撮ろうと思ったのはなぜですか? この作品に強く惹かれた部分があったのでしょうか?
鶴岡 この映画のプロデューサーの方ともともと映画を撮りたいという話をしていて、プロデューサーさんも西さんの大ファンでいらして、「まく子」も発売してすぐにお読みになられて、私にも薦めてくださったんです。小説を読んで感銘を受けたものですから、すぐに映画化したいです、とお伝えしたのが始まりです。この作品をやりたいなと思ったのは、コズエというヒロインがほかの映画とか物語の中に、登場したことがないようなキャラクターで、設定も人としても複雑だし、子供でありながらいろんなところを行き来するようなキャラクターなので、すごい面白いなと思ったんです。
◉コズエをおやりになられた新音さんなんですけど、設定もユニークですが、演技について監督から教えてもらったということもあるようですけね。
鶴岡 序盤(はうまくコミュニケーションが取れない不思議な存在として)の彼女と最後の彼女が、だんだんだんだん人間ぽくなっていくという設定なんです。序盤は明らかに人間らしからぬたたずまいをあえてつくりたかったんです。彼女にもお願いして、サトシに対して最初からやけに距離が近くて、どんどんどんどん近づいていく。われわれ社会的な生活をしている生き物としては赤の他人とはこれぐらいの距離感で接するものだと無意識でわかっているんですけど、そういうものが測れないんです。ほかにも上半身が動かさないとか、瞬きをしないとか。瞬きするんだったらものすごく大きくしようねとか、動きを制御する、人間らしさを制御するみたいな感じでキャラクターをつくって、最後の方は歩き方や走り方だけでなく、動きも少し柔らかくしたり、髪をかき上げてもいいよみたいなこともとかも加え、だんだん人間らしくなっていっていいよみたいな感じで演出をつけました。
◉配役も素晴らしいですね。その中でも草彅剛さんが主演ではない、ちょっと引いた役回りなのに、すごく存在感を発揮されていたのと、主人公の山崎くん演じるサトシとの、父子のシーンがとても印象的でした。父親と息子、男同士のシーンなどは鶴岡さんは女性ですし、難しさがあったとか、わからなかったとかということはありましたか?
鶴岡 わからないとか言うとちょっとかっこ悪いので、わかるふりをしてました(苦笑)。そこは男性スタッフの皆さんの力を借りながら。だいぶ私は男性スタッフの方といろんな話をしましたよ! そうですね、身体の作りとかも違うじゃないですか。そういう話を平気でしてしまう脚本づくりだったり、現場だったりしましたね。
◉主役の二人と、二人を囲む同級生たちがいて、監督の作品のなかではだいぶ子供が多い現場だったと思うんですけど、子供たちを集中させる苦労などはいかがでしたか?
鶴岡 大変でしたね。二人の場面だと突然プロ根性が出てくるのか、すごく集中するんですよ。ライバル意識みたいなものなのか、いい意味で緊張感が生まれるんです。ところがクラスのシーンになると突然騒ぎ出すので結構怒りましたね。「騒がれると困るんだけど」とか言うんですけど、あまり収まらないんですよね。でも放っておいても勝手に仲良くなってくれるんで、そのへんは楽でしたね。10人くらいのクラスで、生まれた時から知り合いみたいな設定でしたので、わーっと他人じゃない感じは彼らがつくってくれてました。
◉現場ならではの苦労はありますか?
鶴岡 そうですねえ、、、、『やまねこ』の時は、めちゃくちゃ雨に降られたり天気に祟られたじゃないですか。夏の映画なのになんかじっとりと、寒そうみたいな感じになってました。今回も初日に雪が降って、「またか」と思ったんですけど、それ以降、バッチリ天気が味方してくれて、そのシーンに合った風も吹いてくれたし、最後の方は桜が開花してくれて、桜が散るシーンが撮れたり。それって苦労じゃないですね。自慢話になったな。
◉「まく子」の「撒く」という行為は重要なシーンなんですけど、監督の中でどう捉えて、描こうと思ったのでしょうか?
鶴岡 途中でコズエが「(枯葉を撒くことが)どうして楽しいかわかった」と話す場面があるんですけど、やっぱりそこに集約されていると思うんです。枯葉がずっと飛んでいたら、そんなに綺麗じゃないと(落ちるから綺麗なんだと)。要するに永遠なものとか、変わらないものはそんなに美しくない。その時々で変わっていくものとか、生まれて朽ちていくという時間によって変化していくことが美しい。そう彼女が言ってくれるんですけど、それって我々が生きていくことを彼女が肯定してくれているように思うんです。「捲く」というアクションにその思いが込めているんで、この様子は大事に撮ろうと思いました。
◉砂絵も秀逸でしたね。
鶴岡 こずえが長々と説明する、私の星はこうでこうで、非常に映像化しにくいところなんですけど、映像的には何か表現しないと観客には伝わらないんじゃないかということが、脚本の製作段階で出て、いろいろ考えた末に思いつい他のが砂絵のアニメーション。砂絵を作ってくれた、佐藤弥央さんがもともと友達で、彼女の力を借りない手はないんじゃないKA、私は彼女の映画が大ファンだったので。粒でできているので、モチーフとしてもリンクするんじゃないかと思ったんです。
◉最後に改めてこれからご覧になるお客様にメッセージをお願いします。
鶴岡 西さんの「まく子」という小説は児童書の出版社から出ていることもあり、児童書という括りではあるんです。たしかに主人公も子供なんですけど、つくる前は子供の時代を経た大人の心に響くようにつくりたいという作戦を立てていました。でも理想は子供のときに劇場で見ていただいて、時間を経て、改めて見ていただいた時に「こういう作品だったんだ」と思ってもらえるんじゃないかなと感じるんですよね。そういう見方をしていただいたらうれしいですね。