[聞く/entre+voir #018]松原幸子さん(ガラス作家)

ガラス作家
松原幸子さん

 

手にしてくださった方に何かしらきっかけを与える作品が理想

だからこそ作品と深く向き合っていただける関係をつくりたい。

それはお客様との会話を重ねるうちに気づいたことなんです。

 
 

誰でも多かれ少なかれ空に対する憧れを持っていると思う。何か思いを馳せながら眺める青空を、ガラスの中に閉じ込めた松原幸子さんの作品を見たときに、えも言われぬ感動を覚えた。記憶だったり、希望だったり、喜怒哀楽だったり、あらゆるものがそこに込められているような気がしたのだ。そして彼女が毎日撮影した五月の青空を作品に昇華させた《ごがつのそら》を両手で包んでいると、知らず知らずに自分の内面と向き合っていることに気づく。《ごがつのそら》での試行錯誤は、さらに《手紙》、今回の個展で発表された《旅路》というシリーズに進化していった。松原さんが手がけるのは、人生を投影した旅のような作品かもしれない。

 
 

同じものをつくり続けることはすごいことです。

私はそれができないぶんテーマを突き詰めていこうと思った。

 

ちいさいいえ

a house in the house

 

◉松原さんの作品は、ギャラリー・シュタイネさんにすごく似合います。おとぎ話の中に出てきそうな時空間でこそ映える気がします。

松原 ほかのギャラリーさんだと工芸としてのガラスが好きな方、つまり器を期待されている方が多いので私の作品は浮いてしまうんです。でもシュタイネのお客様は私の作品が個展のたびにどう変化するか楽しみにして、じっくり見てくださる。お話してもとてもいい刺激をもらえるんです。それは長年お客様とオーナーさんが築きあげてきた空間だからだと思う。シュタイネはオーナーさんが面白いと思ったもの、器も現代アートもあるけど、ジャンルが限定されていないのに空間として違和感なく調和している。このギャラリーにすごく助けてもらっています。
 シュタイネでの最初の個展は2011年でした。その2年前に工房の先輩たちと展示をやらせていただいたときに、「面白い作品だね」とお声がけいただいたんです。これで3度目ですが、私の中ではここを中心に新作を発表したり、たくさん出していきたいと思っています。そして本当に好き勝手やらせていただいている。今回もテーマだけは事前にお伝えしましたけど、どんな作品を並べるかお知らせしないまま持ち込んでしまいました(苦笑)。

 

◉多摩美でガラスを学んで、あづみ野ガラス工房で吹きガラスの作品をつくられていたんですよね。独立するときに器からオブジェに進もうと思った経緯はなんだったんですか?

松原 工房は5年いられるんです。4年目に自分がリーダーになったとき、工房維持のために作品を1日これだけつくらないとということがより切実にわかって。それを考えたときに、私は試しながらつくりたい方なので、技術のある職人さんが手ごろな価格のグラスをつくり続けるようなことはできないと思ったんです。工房ではお給料も自分の製作の時間ももらっていたんですけど、独立したら定番はできても実験はできないし、面白い何かはできないんじゃないかと。そういう意味で器は私がやらなくても素晴らしいものをつくっている方がたくさんいる。それよりも自分が表現したい世界の方が気持ちが込められるし、納得いくまでつくっていられるなと気づいたんです。テーマや作品のバックグラウンドを死ぬ気で突き詰めていけば誰も真似できないものになる可能性もあるかもしれないとオブジェに振り切ったんです。ただ自分の世界を突き詰める作業の結果として、テーマごとに吹きガラスや積層はそぐわないかとか技法を考え直すようにもなって。もはやガラス作家とは言えません(苦笑)。工房時代に作品を見てくださっていた方はすごく驚かれると思います。

 

空の表情が毎日かわることを実感している人はどれだけいるのだろう。

空を見るだけで立ち止まれることがあることを伝えたかった。

 

 

 

◉僕は《ごがつのそら》で松原さんの作品に出会いましたが、とっても感動したのを覚えています。よくキュンとしたと使うんですけど、本当にキュンとしたというか。

松原 ふふふ、《そら》は学生のころから試していたんです。当時はスライドフィルムを四角い板ガラスに挟んで、空の変化を1週間記録していくように並べて。ただ自分がやりたい表現とのギャップが大きすぎて、一、二人の友達に見せたままあきらめていました。それがたまたま工房の受注の打ち合わせでOHPシートに印刷してガラスに挟み込む方法を見せていただいたことで、挟み込む素材、板ガラスの厚みや切り出し方などを試せばやりたかったことが実現できるかもしれないと。6、7年ぶりに復活したわけです。それから1年くらい、ガラスを貼り合わせるときの気泡の抜き方、シワの寄らない方法、空気を切り取ってくるような曖昧な境界にする方法などを試行錯誤してようやく形になりました。でも未だにOHPシートやインクも新製品が出るたびに試しているんですよ。

 

◉そもそもガラスの中に青空を閉じこめようと思ったわけはなんですか? 

松原 大学時代にものすごく忙しかった時期を終えて、ふと空を見あげたときに夕焼けがきれいだ、青空がきれいだということに気づいたんです。しばらく空を見ていなかったな、じゃあ明日も明後日も見てみようと。当たり前ですが空って毎日表情が違う。その当たり前を実感している人はどれだけいるんだろうと思ったことがきっかけでした。日々こんなに変化があるんだとか、昨日と今日は同じじゃないんだということを形にしたくて、さっきお話した日々の記録をつくりました。卒業してガラス工房に入るために安曇野に引っ越したんですけど、すごく空が広く感じられて。そして忙しくても空を見ているから気づけること、冷静になれたり立ち止まれることがあった。理想の形がつくれるかもしれないとなったときに、忙しい皆さんに向けて「こんな素敵な空があるんだ」と伝えたかったんです。別に癒しのためではありません。「空は毎日あるんですよ」ということと、疲れているときに手元に空があったらうれしいかなということなんです。《そら》は5月の空でしかつくりません。春の空、夏の空、秋の空、冬の空と5月の空は一番面白い変化をする。気持ちがいい季節だけど、いちばん曖昧な季節。実際につくり出すと予想以上に思い入れを持ってくださる方が多くて、これはつくり続けなければと思いましたね。ただ、つくり続けるときっといつか嫌になる日が来ちゃうだろうから、こればかりつくるのはやめようと思ったんです。《ごがつのそら》のほかに、葉が落ちた木々をガラスに挟んだ《木立》と本に見立ててケースに入れた《book of the sky》があるんですけど、同じ積層、板ガラスの作品であってもテーマや素材が違うものに挑戦しているんです。

 

私が影響を受けた人びとのへのメッセージつくり続けることで、

きっと私が創作していることの意味がわかるかもしれない。

 

 

 

◉そして次の展開として《手紙》シリーズが始まりました。そのコンセプトについて教えてください。

松原 何かをガラスに挟み込むのは同じですが、《手紙》で挟み込んでいるのは和紙ですし、私がこれまでに影響を受けてきたものを掘り下げるという行為が製作のメインなので、《ごがつのそら》とは思考回路がまるっきり違うんです。
 《そら》は自分と誰かをつなぐ作品だと思っていますが、《手紙》は自分自身を掘り下げつつ、できた作品を見てくださる方が何を感じるか、次につながっていく作業だと思っています。

 

◉ご自分を掘り下げるということですが、心のうちに何が起きているのですか?

松原 《手紙》はなぜその人に影響を受けたのか自問しながらつくるんですよ。これまでつくってのはレオナルド・ダ・ヴィンチ、ダンテ・アリギエーリ、紫式部、泉鏡花、ゴッホなどですが、こういうところに影響を受けて、それが今の私の何にかかわっているのか考えるんです。いわば、私の作品をつくり出した人びとへの時代も国も越えた手紙ですね。これは価値観や美意識の話なので、掘り下げるうちに、私の考え方は間違っているんじゃないか、本当にこれでいいのか、ふと冷静に考えたりもしてしまうんです。そんな考えだから今こんなんじゃないかとか、その考えに固執していてはいけないんじゃないかとか。自分の善悪や好き嫌いなどの価値観が積み重なってきたときに、自問自答しているときに生まれるものだから重い作品かもしれない。でもアートは哲学的なもので、哲学とは何かといえば自己を掘り下げて考えること。表に出ていなくても精神的にきつい作業をしている。貼り合わせが終わって、あとは磨いて、箱を仕立ててという段階でようやく心に平穏が訪れるくらい(笑)。
 《手紙》シリーズは、もし「この人までつくりたい」と思った人をコンプリートしたら、なぜ私が作品をつくっているのかがわかると思うんです。逆にテーマを込めるオブジェの場合は、そのくらいやらないとすごく浅はかなものになってしまう。パッと見たときの印象が「きれいね」で終わらないためにはそれをするしかない。作品のバックグラウンドを深く深くしておかないと表面に出てくるものが光らないと思うんです。

 

◉《ごがつのそら》から、時間のスケールがまったく違う作品になったわけですね。

松原
 自分の部屋の本棚を見返したときに、これをずっと読み込んでいたなあ、そのときに感じたことが今につながっているんだなあと思うことって皆さんあると思うんですよ。強烈に影響を受けた人は一人、二人かもしれないけど、些細な感覚でさえ誰かに影響を受けている。そういう小さな感覚が自分をつくっている要素であるなら、それを掘り下げようと思っているんです。

 

◉《手紙》に挟む和紙に書かれている文章はどんなことを書かれているんですか?

松原 まず《手紙》をつくるときにはその人のことをもう一度調べ直します。その中で思ったことを書いています。「初めはここに影響を受けていると思っていた」とか「なぜあなたはそういうことができたんだろう。自分は今こういう状況で、それに憧れていたかもしれない」とか。ダ・ヴィンチはいろんなことを成し遂げていますが、どれもすごいじゃないですか。でも彼は天才だから万能ではなくて、いろんなことに妥協しなかったから万能に成り得たと思うんです。そういうふうに妥協しなければーーもちろん私は全然足りていないんですけどーー自分がつくったものが、いつか誰かの「あの人はどうしてあんなに妥協せずにつくれたんだろう」というふうに意識とか感覚に影響を与えるものになるのかなと思うんです。そうなったとしたら作品が存在する理由になるんじゃないかなって。そういうことをずっと書いて、辞書を使って英語に翻訳しているんです。

 

◉もはやガラス作家の仕事じゃなくなっていますね(笑)。

松原 そうなんです。工芸の仕事かどうかもわからないし、用の美もないし、ガラスという素材を生かすためにやっているわけでもない。ガラスは使っているけど、ガラス作家としてはアウトローですよね。そういう意味では振り切るためのエネルギーも勇気もかなり必要なんですよ。もちろんガラスという素材に魅力を感じるから使っているんです。でもその魅力を120パーセント引き出しているかといえばそうではないし、テーマにそぐわないかなと思った場合に、まったくガラスを使わない日がくるかもしれません。

 

旅を通して他者や違った文化と出会うことで

自分を見つめ直して変化していくことを作品に込めたかった。

 

 

 

 

◉そして今度の個展で発表した新作が《旅路》のシリーズです。ここへはどんなふうにつながってきたんでしょう。

松原 2014年から大町とメンドシーノの交流事業に参加するようになったことが大きかったんです。メンドシーノでは別の仕事を持っていたり、かつて別の仕事もやっていたという人たちが今は「アーティストです」と名乗っている。そしてそれが認められている。日本はそういう状況だとセミプロとかアマチュアだと思われてしまう。ようはいい作品をつくっているかどうかなんですけど。別のことをしていたからこそ振れ幅があるかもしれない。私も別の仕事も持っているのですが、「すごいね」と言ってくれたのはメンドシーノの仲間でした。ものづくりで生計を立てられることは素晴らしいけれど、生計を立てるために妥協しなければいけないのなら、別で稼いでも妥協しない作品をつくることがいいと私は思ったんです。実は当時そのことで嫌気がさしていたことがあって(苦笑)。けれどメンドシーノの仲間と話すことで、世界を広げて考えることでそういう価値観が全然気にならなくなった。実際に旅をすると、宗教や価値観の違いに出会って、新たな視点を得ることができますよね。自分の信念はそのままでも、他者を知ることで自分を見つめ直すことができる。その人をつくりあげる要素はその人が何に触れてきたかに関係する、そういう作品をつくりたくなったんです。
 ある架空の男性を想定して、私が行った場所ではなく、その人がこういうところを旅して、こういうことを考え、こういう人生ができ、最終的にこうなるだろうという物語を考えてつくっていくんです。このシリーズを通して自分が考える自分の旅ができていくだろうと思っています。

 

◉《旅路》も作品の形態や技術は継承しているのに、進化し、全く違うテーマが生み出されているんですね。

松原 方向性、形が決まるまでは3カ月に1回くらいめげて、1週間くらい立ち上がれないような状態でした。最終的に額に入れたのは、立体的なものを集め、積み上げるアッサンブラージュで有名なジョセフ・コーネルの影響が大きいんです。旅する場所、時代につい調べて、それをまとめ直して、横に自分の意見を書き、10年分の旅を考えて……。ガラスの中には100〜120年前の写真を入れているんですけど、そのころの旅は陸路か船ですよね。次の地に移動するまでに時間があればあるほど体験した出来事を反芻しますよね。旅の過程で思うことって、実はそのときしか味わえない思考だと思う。飛行機の旅ではできない。だから滞在中に思うことも100年前に設定しているんですよ。旅をするという行為が今と違って時間と労力がかかったし、情報も実際に行かないと手に入れられなかった。だから何かが起こる。私が行きたい場所、憧れの場所も混じっていますが、旅している感じというよりは、もし私がそこにいたら何を思うだろうと考えながら一人の人の自伝を読んでいる感覚になります。

 

◉これもまた長いスパンになりそうですね。

松原 はい。できればほかの国、異文化圏のアーティストと話してみたいなあと。そうすればまた得るものが違うと思うし、それを投影しながらつくっていきたいんです。《手紙》も《旅路》も変化していくこともあるかもしれないと思いながら、目指しているところまでつくりたいと思っています。たぶん自分が年齢を重ねたり価値観に変化が出ればそれがまた投影されていくんでしょうね。そういう意味では、ライフワークに近いと言えますね。《ごがつのそら》も50、60歳でつくるものは、20、30代の方には伝わらない《そら》になっていく気がします。《そら》のために撮る写真も同じように見えて違うんだろうなぁ。

 

「ガラスと石はとても似ている」stone+glass

 

 

◉お話を聞いていて松原さんの作品と、鑑賞者との関係はとても濃厚なものであるような感じがしました。

松原 テーマが重くても、そのオブジェが手にしてくださった方の生活の中に何かしらのきっかけを与えるものであってほしいんです。だから私の場合は美術館にコレクションしてほしいというのではなく、一対一の関係で見ていただきたい。例えば賞を取ること、名前を上げることが大事な分野もありますが、私の作品は関係ありません。だからこそギャラリーでの展示を大事にしたい。そのことは展示を重ねいく中でお客さんと会話を通して気づいたこと。それがわかったからこそ自分の方向性、作品のクオリティ、世界観をもっと詰めていかなければいけないし、ブレてはいけないと思いますね。

 

 

松原幸子 SACHIKO MATSUBARA

茨城県出身。2003年に多摩美術大学美術学部工芸学科ガラスコースを卒業、
あづみ野ガラス工房に参加。2008年にフリーとなって制作を開始。
2009年にあづみ野ガラス工房の先輩たちとギャラリー・シュタイネでの「積層のガラス展」に参加。
その後、2011年に「本棚と引出」、2013年に「Dへの手紙」と個展をギャラリー・シュタイネで開催。
2015年にはギャラリーソラノハコで初の東京での個展を開催。
また2014年から大町市とアメリカのメンドシーノ(カリフォルニア州ノース・コースト)との交流事業に参加。
公式サイトは、こちら

 
 

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