[聞く/entre+voir #001] 角居康宏(現代美術家・クラフト作家)

撮影:モモセヒロコ

[聞く/entre+voir]角居康宏
Yasuhiro Sumii

“始まり”というテーマに一番最初に出会えたことが幸運だった

見るからに重みがあって、ひんやりと冷たくて、品をまとった錫の器。表面のマチエールもさまざまで、シンプルでかっこいい。県内外あちこちのギャラリーで見かけても、それとわかるほど角居康宏さんの代名詞となっている。実は、そんな角居さんには現代美術のアーティストとしての一面も。現在、約3カ月にわたる「はじまりのかたち 角居康宏・金属造形作品」展が山ノ内町立志賀高原ロマン美術館で開催されている。長野市内にある角居さんのアトリエを訪ねた。

 そこは3階建てのビルをリノベーションしたスペースで、1階はギャラリー、2階は住居スペース、3階はアトリエになっている。ここが、角居さんが日々、錫の器を生み出す場だ。そしてアートワークに関しての思考実験の場でもある。バランスでいえば器をつくる時間が全体の9割を超え、鋳物(金属を融かし、鋳型に流し込んで器物をつくる工法)によるアートワークが残り。ただし器を作りながらも、アートワークのための思考実験は無限で自由だ。

真白な炎に魅せられて

 実は角居さんは当初、美大を目指していたわけではなかった。
 「高校3年の受験のときは化学系の学部を狙っていました。信州大学なら高分子工学とか。でも浪人が決まったときに、受験のために勉強を続ける自分がイメージできなくなってしまって方向転換したんです、両親の説得とか大変でしたけど。バイトをしながらデッサンなどに集中して美大に入った。美術というものもデザインというものもわからない、そんな状態で工芸科で焼き物やら染めやらいろんな技術を見まして。金属を融かす作業のときに、炉の中の圧力を上げていくと温度がどんどん上がって炎の色がレモンイエローになったり、やがて不透明な白になるんですよ。普通はオレンジや青ですよね? それがものすごくきれいで感動したんです。そして今まで、冷たくて、硬くて、重いはずの金属が赤く光る液体に変わることにも感動して鋳物をやってみたいと思ったんです」
 美大進学の選択は、すぐ上の兄の後押しがあったのも大きい。兄は、日本中央競馬界で活躍する調教師、角居勝彦氏。その兄が、敷かれたレールの上を走るのではない生き方を、自らの経験から進めてくれたのだ。

 大学に入ってみると、化学が得意だというのはすごく強みになった。何より材料となる金属の特性がよくわかっていたから。とはいえ、大学の4年間、鋳物にたずさわった3年間はひたすら工程を知る、覚えることに費やされた。
 「大学を卒業して、愛知の鯉江良二先生のもとで2年間お世話になりました。そこで、『スミちゃん、金属を融かせるなら、ここでやってみないか』と。ところが何もできないんです。大学は設備がそろっているから簡単ですけど、いざ放り出されると何が必要なのかもわからない。覚えた技術の中から最小限のものだけを拾い出し、道具を作るところから始めて。るつぼと炉、火があれば金属は融かせるというシステムを作り上げるのに1年間かかりました。そしてブロンズがようやく融かせるようになったのが僕の実質的なスタート。
 ただその1年にいろんなことを考えました。次第に型を作るという意識はなくなっていった。鋳物で造形をやりたいとしたら、蝋や石膏で型を作った段階で興味の半分は終わってしまうのでは、と。僕は火や融けた金属に憧れたわけですから、そこから先がスタートだと。だから違った作り方を模索しなければと思ったんです。そして最初の作品は、地面に丸い穴をほって、そこに金属を流し込むというものでした」
 そこから、火に導かれたかのような創作が始まる。そして今も。
 「火のイメージって非常に原初的。始まりを感じるんです。宇宙のビッグバンもそうだし、地球も最初は火の球だった。人間自身も祈りや何かを始めるときに火を起こす。“始まり”と“火”は連結しているんだと思い、そして始まりについて考えるようになりました。
 最初のころの作品は地球とか天体とか、宇宙が始まるイメージ。それから生命が始まるイメージ、自分自身が始まるイメージなどを経て、ここ10数年続いているテーマは、人間が意識を獲得するとはどういうことなのか。そこに戻るとどうしても、祈りや宗教観にたどり着くんです」

この作品は僕に何を望んでいるのか
そこからは本当の始まり

 冒頭、角居さんは、錫の器を作りながら思考実験をしていると書いた。そこからどんなふうに制作が始まるのか。

 「アトリエで考えていると自分が原始に戻っていくんですよ。そこで暮らしていたら何が必要なんだろうって。いざ作る段階ではイメージとしてのコンセプトは決まっているので、そのためにはどういう工程を踏むかを想定します。今は主に、地面や丸太を型にするということが大きな柱。どういう材料で、どういう形にして、どういうステップを踏んでいくか。というのは、地面や丸太を使うと、できあがりの状態が不安定で、こういうものを作りたいといってもそうはならない。丸太なら割れ目があって金属が漏れました、虫食いがあったからその穴に流れましたとか。かといって合目的的に作品を作るのではなくて、一つひとつのステップの中で自分に何ができるかを考え直すわけです。自分の想像した形と違っても、どう形と自分との折り合いをつけてよりよく見せるか、この形は自分に何を求めているのか、そんなことを考えます。だからはみ出した部分を残す選択肢もあるし、グラインダーで切り落としたり、荒々しく叩き割ったり、オプションはいくらでもある。どの方法がその作品にとっていいのかはその時に考えるんです。
 僕の作品は現代美術の範疇にも入っていますが、ちょっと違うという思いもあるんです。現代美術で作家が問うのは今の社会ってどうなの?ということだと思うんです。今の社会を問うということは、その根っこにある人間ってどうなの?と問うことでもある。僕はそのほうが大事で、争いが起こる社会に対して反社会的な作品を作るのではなく、人間は争いが好きだよねというところをスタートに作っていきたいんです」

 今回の山ノ内町志賀高原ロマン美術館のはじまりのかたち 角居康宏・金属造形作品」展では、20年におよぶ軌跡が見られる。同館ではこんなコメントでリリースしている。

  角居氏は、「はじまり」というテーマのもと、土と木を直接鋳型として用い、
  融けたアルミを流し込む方法により、
  原始的でエネルギッシュな作品を創り続けています。
  「はじまり」のおおもとにある、金属を融かす「火」の神々しさに魅せられた作品は、
  大地と触れ合った金属の「皮膚」の持つ猛々(たけだけ)しさと繊細さを秘めた
  独特の静謐(せいひつ)に満ちています。
  志賀高原ロマン美術館の宇宙的な雰囲気の展示空間とともにお楽しみください。

 それでは、3つの作品を紹介しよう。

左から「依代III」「円相I」「核心」写真提供:山ノ内町志賀高原ロマン美術館

左から「依代III」「円相I」「核心」写真提供:山ノ内町志賀高原ロマン美術館

《依代 III 》
 この作品は連作です。1、2は一見ただの棒です。宗教の最初の形態であるアニミズムは、神様がここにも、ここにもいるよというものなので人間の形をしてなくてもいいのですが、シャーマニズムに移っていくと神様は擬人化されていく。信仰の変遷、依代としての変遷をテーマに、3は人間の形を作りました。たぶん意識を獲得するということの始まりは、たとえば敵や獣にどう対処するのかということだったと思うんです。武力を身につける方法もあるでしょうが、まずは祈るということがあるように思います。学生のときにアフリカにいた時期がありますが、部族は部族なりの信仰がある。山の上に大いなる存在があるんだよ、というような具合に。その大いなる存在、大いなる力をいかに自分の味方につけるかが宗教の最初だったはずなんです。仲間として自分の部落、部族に来てもらうためには神聖なる場所、神聖なるものを想定する。それが日本の場合は磐座(いわくら)、神籬(ひもろぎ)で、神寄せの場でもある。そして物体を依代と言う。神話性、信仰性をもって大いなる存在をいかに味方にするか、その積み重ねから今の宗教ができた。その大いなる存在を宿らせるというものを考えてこの作品を作りました。

《核心》
 インドのヨガの行者が作るブラフマンダという石の彫刻がある。それは修行の行者が日々、石を手で磨いたもの。それはインド哲学、インドの宗教というものがもとになります。そういう研究をしているギャラリーの方と相談していたら、これはゼロの彫刻なんだよねと。ゼロという概念を生み出したのはインダス文明なんです。ほかの文明は一歩踏み出すところから始まるけど、インドはその前としてゼロがある。なにもない点みたいなものを想定しているところがインド哲学のすごいところ。そういうものを僕も作りたい、僕なりの仕事で、一歩踏み出す前の核心になっているゼロの彫刻を作りたいと思ったものです。

《円相 I 》
 禅のお坊さんがさっと丸を書く円相。僕なりに円相を考えたときに、彫刻家のイサムノグチが丸にこだわっていたことにたどり着きました。丸の意味をずっと考えると、禅の行者もさっと書けるようになるにはすごく修行をする。その修行をした経験が一点一点に残されているから、ありがたく美しく感じるわけです。イサムノグチの円相にしてみても、自分が思ったこととか、職人の手が入っていること、一点一点を綺麗に磨き上げることとか、どこの点を切っても想いがつまっている。そう考えると円って不思議な形に見えてきた。広がっている途中にも見えるし、ぎゅっと縮まっていくようにも見える。それが始まりだと言われればそんなふうにも見えるし終わりだよと言われればそんな気もする。いろんなものの端と端をつないでしまうんですよね。本当は全然正反対の概念なのにそれが矛盾なく収まる形が円なのかな。

20年、変わっていないんです

 「20年間の作品を並べさせていただいて感じたのは、昔のほうが勢いがあったなあと。昔はこんなに話せなかった。展覧会を一つひとつ経験しながら、お客さんと話す中から、言葉を得てきたんです。昔は力強さが欲しい!みたいなことを話していましたね。今はいろんなことを考えられるようになったので言葉が先になる。そうすると僕があんまり求めていないロジックで作品を作るようになってきてしまった。昔はものがあって、そこにロジックをはめ込む作業をしていたのに、逆転してどんどん小さい仕事になってきちゃって、いかんなと反省しています(苦笑)。でも全部並べて思ったのは、大学の卒業制作も出していますけど、基本的には何も変わっていないということ。始まりのこと、人間に対するアプローチ、一番最初の段階でこのテーマを見つけられて幸運だったなと思いますね」

◆今、対談するとしたらどんな方とお話したいですか?◆

アソビズム代表取締役・大手智之さん
 つながってはいるんですけど、なかなかゆっくり話す時間がなくて。機会も作ろうと思えば作れるんですけど、なんとなくの流れでというタイミングがないんですよね。ダイナミックな動きをしている方は面白い。
 

1968年金沢市生まれ。Gallery & Factory 原風舎主宰。1993年、金沢美術工芸大学美術工芸学部産業美術学科工芸デザイン専攻を卒業。錫で食器、インテリア・エクステリアなどのクラフトワークを、アルミでアートワークを手がける。伊勢丹新宿店ほか、全国各地で個展・グループ展を開催。2011年に上田市から長野市の善光寺門前に工房兼ギャラリーと住まいを移す。

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