[聞く/entre+voir #006] 飯沼英樹さん (彫刻家)
飯沼英樹さん (彫刻家)
木から受けるインスピレーションと
自分の中にあるファッションのイメージとの
喧嘩、あるいは話し合いで作品ができていく
松本市美術館で、松本市出身の彫刻家・飯沼英樹による「飯沼英樹 闘ウ女神タチ」展が開催されている。ファッション誌に掲載された一枚の写真からインスピレーションを得て、材料となる木と対話しながら飯沼の手によって生み出されていく女神たち。そこに感じる気高さは、なんだか幼いころに初めて外国人に出会ったときの、どこか手の届かない感じに似ている。開館からまもなく15年を迎える松本市美術館にとって、草間彌生をのぞいては、初めての現代作家の作品展でもある。松本市美術館の今後の展開に一つの可能性の扉を開けた。
◉今回の展示が開催されるまでの経緯を教えていただけますか?
きっかけは2014年の「タグチ・アートコレクション たぐ展 TAG-TEN」です。現代美術コレクターとして知られている田口弘さんが収集した現代美術作品のコレクションの中から、松本市の小学生に見たい作品を選んでもらうという企画だったのですが、そこに僕の作品を選んでいただけたのです。ある意味、第三者の視点ですよね。その出会いから僕が松本市出身だということもあって、松本市美術館の学芸員さんが何度も何度も僕の展示に足を運んでくださって、すごく理解を深めていただいて、そして今回の企画が実現したわけです。
回顧展のように見えますが、初めの部屋の3体の天使、暗い部屋のメインとなっている五大虚空蔵菩薩と大きな《Punk Poet》、水着のシリーズの新作と、最後の部屋の3メートル級の2点、LUMINE meets ART AWARD 2015でグランプリの《Tamara》、そして最後の作品で展覧会ロゴに使われた《Seafood》。すべてが、展覧会のお話をいただいてから制作したもので、松本市美術館という場所性を意識したインスタレーションと新作展となっています。
◉松本から生まれた才能をお披露目する機会と言えますよね。飯沼さんとしてはどういうイメージの展示にしようと思われたのでしょうか?
そうですね。僕の作品を見ていただくのですが、同時に空間を体感していただきたかったんです。美術館という大きな箱があって、その内部をどう区切って、僕のスタイルを意識した空間演出や展示構成をするという押し付けではなく、アミューズメントパーク的な要素も加えることで、一緒に楽しんでいただければと。芸術作品というのはすごいんだぞ、ではなく、親しんでほしかったのです。そして美術館に足を運んでくださった皆さんがそれぞれ作品の美しさ、自分の考えるアートとは、といったことを見つけながら楽しんでくださるのがベストかなと思っていました。それで会場をピンクにしたり、ファッションショーのランウェイを作って写真撮影ができるようにしたり、音楽をかけたりしています。薄暗い中で静かに鑑賞するというよりは、見た楽しさを表現したり、発信して楽しんでいただけたらうれしいです。
世界を届けてくれたピカソ展のカタログ
◉アーティストになろう、ものづくりをしたいと思ったのはいつごろですか?
それは小学校に上がる前、5歳のときですね。父親がピカソ展のカタログを買って帰ってきてくれたのです。世界を代表する芸術家の作品が、小さな街の5歳の子供の手の中にあるのってすごいことだと思いませんか? その絵が僕に世界を届けてくれたのです。それでものすごく衝撃を受けて。そのときに芸術は、言葉や文化を超えていくものなのだということを感じて。そしてピカソの絵からみなぎるエネルギーを感じたのを今でも覚えています。おそらく当時の松本の環境がそうさせたのかもしれません。もし横浜に住んでいたら、外国人も日常的に出会いますし、西洋の文化もどんどん入ってくるわけですから。今でこそ松本にも外国からの観光客があふれていますけど、僕が子供のころはそのくらい世界が遠かった。
それから高校時代は「ボブの絵画教室」という番組が流行っていて、30分間で油絵を仕上げるのですが、ボブの手法を真似して鉢伏山を描いたり、中町通りを描いたり、自画像を描いたりしていましたね。そして大学に進むときに、具体的に芸術家になるという目標を立てて、どうしたら職業として成り立つのかをいつも考えていました。
◉絵画から彫刻にたどりつくのはどんなきっかけだったんでしょう?
彫刻に進んだのは、大学1年生のいろんな実技をやってからです。彫刻がものすごく難しくて、その難しさのせいでのめり込んでいったというか。それから周囲の環境も僕の気性にあっていたのかもしれません。絵を日々ひたすら描くというよりは、作業しながら大物を作り出すということが。大学、大学院では彫刻の基礎と、明治以降の日本の美術史を叩き込まれました。
◉ファッションという切り口を彫刻の中に取り込んだのはなぜですか?
ファッションを意識するようになったのはパリに留学したころからでしたね。実際にファッションショーに出かけ、目の前のランウェイを歩いていくファッションモデルを見ているときに、女性というものを違う角度から見るようになったというか、崇拝の対象として考えるようになりました。そして雑誌で見るものも、実際に街で見るものも、つまり身にまとっているファッションが時代とともにどんどん変化していくわけじゃないですか。それが女性のエネルギーになっていると。ファッション雑誌って広告展開によってどんどん消費をあおるようなところもありますよね。その情報や動きに操作されている女性もいれば、操作されることを楽しんでいる女性もいる。ファッションにはすごくポジティブな面と、消費社会や現代社会に対する問題提起の部分があるわけです。僕はそれは共存するテーマだと思っていて、現代性に時間軸に置き換えて、彫刻や美術、木が出会うところに表現があるかなって考えているのです。
◉作品を生み出すときは、どんなことが起きるのでしょうか。
僕は小さなころから本が好きで、紙媒体のページをめくっているときに至福を感じるんですよ。日本の雑誌の90パーセントは同じ紙ですが、ヨーロッパやアメリカの雑誌は質感にこだわっていて、インクの匂いも含めて、五感で感じながら見るのです。ですから有名なファッション雑誌を置いている店に出かけていって、世界中で発行されているベストと思われるものを買ってきて全部のページをめくるのです。そうやって一つの雑誌の中からもっとも冗句的で美しくて、すごく素敵な写真からイメージを2、3抽出して、インスピレーションを得る感じです。
一方で、木というのは一本一本生きていて、性格も違うんですよね。それは市場に行くとすごくよくわかる。その性格自体を作品にも利用しているのです。厳しい寒さの中で育った木は、すごく固くて、節があって強い性格を持っている。そういう木ではニコニコした像は作れないなとか対話しながら作っているのです。南国でのびのび育った木であれば、奔放なキャラクターの像にしたくなるとか。そんな意識が働いているように思います。木から受けるインスピレーションと自分のイメージとの喧嘩、あるいは話し合いで作品ができていくんですよね。
◉ファッションは飯沼さんの作品においてどんな役割を果たしていますか。
ファッションはどんどん更新されていく。広告業界や世界のファッション業界によって新しい美のとらえ方、美の女神たちが作られていく。それに対して僕は極力第三者的な、客観的な美の象徴を感じ取って、それを作品に取り込むようにしています。もし僕の作品が200年後、300年後に残っているとしたら「昔はこういうファッションだったんだね」というようなことが伝わると思います。
◉今回の展示をきっかけに何か松本で起こせると面白いですよね。
今回の展示はいろいろな方々の協力があって実現したことなので、本当に感謝しています。そうそう、まだ行けてはいないんですけど、awai art centerやパレーズギャラリーと現代アートの拠点ができていますよね。そういうギャラリーを含めて、たとえば、近代以前であれば博物館、現代アートがやりたければ松本市美術館といったふうに、浸透していって、松本が現代アートの中心地になっていけばいいなと思いますね。そしてよく美術館は芸術の墓場だと言われますけど、僕は、美術館は助産婦だと思っているんですよ。産婦人科といってもいいのですけど、つまりは芸術という赤ちゃんを産むための場であると。そういう意味で、少しでも松本の文化に貢献できればいいなあ、美術館が楽しいところになって足を運んでいただけたらいいなあと思います。
1975年、松本市生まれ。
松本蟻ケ崎高等学校卒業後、玉川大学、愛知県立芸術大学大学院を経て、
フランス政府給費留学奨学金を取得してナント地方美術学校に入学。
同学のヨーロッパ高等教育交流プログラムによりデンマークのコペンハーゲン、
イタリアのミラノ、ドイツのカールスルーエに留学。
2006年に帰国した後もヨーロッパを中心に作品発表を続けている。
現在は東京にアトリエを構え、制作に励む。
受賞歴は、2004年「国際彫刻シンポジウム」最優秀賞(マルクノイキルヘン・ドイツ)、
2005 年「Ernst Barlach Preis」エルンスト・バルラッハ賞(ドイツ) 、
2013 年「六甲ミーツ・アート 芸術散歩 2013」主催者特別賞、
2015 年「LUMINE meets ART AWARD 2015」グランプリなど。