ときには本と戯れる #2「おんせんブックスのこと」

ときには本と戯れる #2「おんせんブックスのこと」


文|越智風花


なぜ古本屋なのか。


長野県松本市、浅間温泉という温泉街にて古本屋「おんせんブックス」を営んでおります、越智です。どうして始めたかの経緯はひとまず置きまして、なぜ古本屋なのかのお話をできたらと思います。


おんせんブックスは「古本屋」です。中古になった本を売っています。


本屋さんを始めるにはいろんな種類、いろんなやり方があります。
お店の形は、実店舗かネット上の本屋か、実店舗もネットもやるのか。
売るものは本だけか、飲食も提供するブックカフェにするか、雑貨も売るか。
本の状態も新刊/古本だけに限らず、新刊と古本一緒に置いたりするお店もあります。
最近では、「一箱古本市系店主」と呼ばれる、全国各地で開催される本のフリマ「一箱古本市」を転々と渡り歩く方々もいます。


「本屋」という言葉は本来、出版・編集から流通・取次、書店を含めて「本を扱う職業全般」を指したもので(読んで字の通りですね)、本を扱うというところでいくと、私設図書館や文庫、貸本屋さんも「本屋」の形ですね。


私設図書館は「マイクロライブラリー」などとも言われますが、自分の蔵書を街やほかの人へ向けて開くことによって、本を通した人と人のつながりを作っていく動きです。


私が目指したのもそこで、本を通じて人と人、本と人、人とコト、本とコト、本と本の出会いを演出したいな、と思ったのが今の「おんせんブックス」へとつながっていきます。(本と本は思いがけず出合うものだとお店を開けてから知りました。この本とこの本の並びによって新しい物語に見えてきたりするのです。)



13588784_836732696461016_1001651745_o



本を扱うという点では、私はどの本屋さんの形も選ぶことができました。「売る」ことを選ぶ必要はなかった、ということです。


特に本は新刊でも古本でも売れすぎて笑いが止まらんわ!という時代ではありません。かつては神保町で買って持ってきて置いておくだけでも勝手に売れていったというお話も聞きました。


理由は様々でありますが、かつてのように物を多く持つことが今はよいとは言えず、むしろ消費する物が多くあるためにより選択して物を買い、極力物を持たないことがよいとする「断捨離」や「ミニマリスト」の考え方が広く広まったこと、そもそも物を多く持つだけのお金を持てなくなってきたこと、単に「情報」という面では紙の本より安価でスピード感のあるネットが手軽になってきたことなど、本が売れなくなるような状況であります。


ある程度生活できるお金さえ他で確保できれば、本を売る本屋ではなく、私設図書館や文庫という形が一番リスクがなかっただろうと思います。


でも、できればお貸しするのではなく、その人の手元にあるのがいいな、と思いました。
本との付き合い方は借りたけど期限が来たから返すのではちょっともったいないし、手元に置いておいて、必要な時がきたら手に取ってページをめくる、くらいの距離感がいいかなと思うのです。
積読はよくない、部屋を広くしたいという方はやっぱり多いのですが、買って手元に置いておくだけでもその本のタイトルは見えますし、悩んだとき、何かアイデアが必要なとき、本棚を眺めるとピントくることがあるのですよ。
糖分や栄養素を取るように、本を買うことでなんらかのエネルギーを買った、と思って連れて帰ってもらえるとちょっと嬉しいな、と思うのです。


しかも古本って以前持っていた方の名残があります。新刊より味があってまたちょっと違ったエネルギーが買える感じです。お得です。


なんだかスピリチュアルっぽくて説明になっていない気がしますが、そういうことから古本屋をやっています。
長くなってしまったので、この辺で。


インフォメーション