越ちひろ インタビュー

越ちひろ 画家


鮮やかなピンクからはあふれんばかりのメッセージが突き刺さってくる。ある店舗の壁と対峙する際は巨大なモンスターと格闘しているようだった。ライブパフォーマンスでは絵の具にまみれ、恍惚のなか自身の肉体を同化させていく。真っ白で四角いキャンバスから飛び出した彼女は、自由に駈けめぐり、次々と表情を変え、観る者を翻弄。作品からは、強さばかりではなく、優しさ、悲しさ、はかなさが感じられる。小さな体のどこに秘められているのか、発散されるエネルギーは、私たちを惹きつけてやまない。2月2日(土)~17日(日)、長野市・北野カルチュラルセンターで「越ちひろ展 強く儚き優しい絵」を開催する。注目の画家、越ちひろがどうやって培われてきたか、それを知るチャンスだ。


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描き続けられる自分さえいれば、いい

●「越ちひろ展 強く儚き優しい絵」は越さんが長野に帰って創作活動を開始されて以来、もっとも重要な展覧会になりそうですね。

 これまで長野で自分の大きな作品を見せる機会がなかったんですよ。いつもちょこまか新作と同時に、昔の作品を小出しにしてきましたが、去年、『Birthday』というアートブックを出したのをきっかけに、長野の人に見せたいという気持ちが強くなってきて。今までの創作物、それから作品に留まらず収集してきたもの、感じたことを書きためてきたノートなどすべてを展示しようと考えています。ドローイングもたぶん5000以上あるんじゃないかな、数えたことないんですけど(笑)。
『Birthday』は第1冊目ということもあって、私がどういう人物がどういう人生を送ってきて、何を考えて、こういう絵が出来ているのかなどを感じてもらえればと思っていろんな要素を入れたんですけど、展示ではそれを見せたいわけじゃない。決して集めてきたわけではなく、自然に集まってきたものたちが、体験が今の自分のなかでどうつながっているか分からない。でもその分からなさが面白いと思うんです。

●絵を志した理由を教えてください。

 中学3年生のときに決めたんです。私、いろんなものを作るのが好きで、髪も切れるし、バックも作れるし、服も直せるし、料理も作れる。そういうなかで、早くから楽しい人生にしたいと思って、勉強するんだったら、早く夢を決めて専門コースのある高校に行こうと思っていたんです。でも、大抵のことは、一回やると飽きちゃうんですよね(苦笑)。でも絵だけは、1枚描いてももう1枚!となる。それで絵を描き続ける道に進もうと。絵描きになりたいというよりは、絵の勉強をしたいという感じでした。ホントに自分が描き続ける、描きたいんだって思ったのは東京の予備校に通い始めてから。毎日絵を描いて土、日は美術館に行く、そういう生活は苦しかったけど、こうやって進んでいくんだなって。私は苦しいことは好きなことに入ると思うんですけど、嫌いなことをするのはいやなんですよ。物事には真剣にぶつかればぶつかるほど、喜びと苦しさって波のようにやって来るじゃないですか。そういう感覚は、趣味でかじったくらいでは生まれない、与えられないと気づいたんです。だからこそ、どんなに苦しくても逃れられないんだって。描くということは、誰に教えられることでも、誰の助言を得るものではなくて、描き続けられる自分さえいれば、どんな環境にいても書いていられるってことを、たぶん大学が教えてくれたんです。

●大学で、どんな影響を受けたのしょう?

 私は東京造形大学に通っていましたが、そのころは製作環境がすごくよかったんです。アトリエは広いし、先生にはあまり言うなと言われていますが(笑)、24時間使えたんですよ、学校が閉まらないから。まあ古い建物だったからなんですけど、廊下を自分たちでアトリエにしたり、壁に絵の具をつけてもペンキを塗り直しておけばよかった。文化祭のときも壁を真っ白に塗って会場にしちゃって、どんなふうに展示しようとか、あらゆることをそこで学びました。悪さもしましたけど。そういう経験があったから長野に帰ってこられたんだと思います。そうじゃなかったら、今でも東京に居続けていろいろ言い訳していたかもしれない。私はもうなんにも難しいこと考えてない(笑)。壁画や店舗に描いたりするのも、芸術じゃなくてお金をもらうために絵描きがやる仕事って、東京の仲間たちも見てただろうし、自分でも少しは思っていたんですけど、今はそういうところにこそ可能性が広がってると思うんです。これが芸術じゃない、アートじゃないと決めつけてる概念がどこにも動けなくさせているんじゃないかって。長野に帰ってきてからはそういうものからは全部取り払われましたね。そうしたら村上ポンタ秀一さんと出会えたし、ライブペインティングも自分を表現するうえですごくいいパフォーマンスだと分かった。それもこれも「私の絵よ!」って堂々と言えるようになりましたね。

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描くことに対して
あなたには絶対ウソつかないよという思い


 絵筆を持ったときの彼女は、何かに突き動かされている。一心に見つめ、周囲の声も耳に入らないかのように。だけど、目の前にいる彼女からは、まさに、どこにそんな強さがあるのだろうと思うほど、無邪気で、柔らかに話す。

●絵を描くという作業に関して、どんな思いでいるのですか?

 絵って、キャンバスにしっかり収まっているのに、観た方の想像で自由に広がるじゃないですか。それってすごいことですよね。「越さんは何を描いているんですか?」とよく聞かれますが、何を描いてもいいと思っているんですよ。描いているものにコンセプトはないんです。なぜかというと、目の前にあるそのものを描いているわけじゃなく、そのものをフィルターにして、走ったあとの爽快さ、すごい悔しかったときの胸を締めつけるような痛み、いい絵を観たときの感情の動きとか、人生のなかで体験したすばらしい感情の動きを絵のなかに収めようとしているんです、観た方が同じ感覚になるように。そういう意味では、私が気になったもの、モチーフに選んだことがコンセプトだと思うんです。具体的に何を表現したいというよりは、絵の前に立ったときに、感じられるものを描きたい。

●活動の幅も広いですよね。キャンバスにこだわらないというか。そのなかで、壁画やライブペインティングの位置づけは?

 壁画は闘ってますよね。店舗などの壁画の場合は空間から発想しますね。私の仕事ってすべて勘なんです。だから下描きしないんですよ。そしてスペースが大きくなればなるほど、体力もエネルギーも使うし、絵描きです~って感じの優しくなぞっている感じではできないし、体でぶつかりにいく感じです。限られた時間のなかで自分の100以上のもの、限界以上のもに持っていこうとすると、かなり一所懸命やらないとそこまでいけない。普通にやっていれば70まではいくと思うんですけど、それでは人は喜んでくれないと思う。へんな場所にのってへんな体勢で描くから体が痛いし、炎天下でも寒さのなかでも描いていかないといけない。大変だけど、その時間がすごく好きですね。
ライブペインティングのときは観せたいものが自分のなかでちょっと違っていて、絵を描くってこんなに自由なんだ、突き詰めていくと人間って、生きるってすばらしいってところにたどりつくんです。そういう一人の絵描きが、絵の具やキャンバスとぶつかり合いながら体で表現していく、体全体で魅せる絵の具とのパフォーマンスですね。

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●越さんにとって“描く”とはどんな意味を持っていますか?

 絵は正直で、純粋に必死にぶつかっていれば、それなりの結果を帰してくれるじゃないですか。ホント鏡みたい。うそつかないんですよね。私がもし邪悪なことを考えたり、こんな絵描きたくない、この程度でいいかって思うと、絶対その程度で帰ってくる。だからあなたには絶対ウソつかないよっていう思いで接してる。イコール自分だから。そういう人生を送りたくないと思っているのかもしれない。でも本当にやったときってわけ分かんないですよね。そうなんなきゃいけないのかもしれない。答えはないですよね。良かったのか悪かったのか分からないけど、そこまでやれたから満足というものを作っていくしかないというか。ただ、怖いですよ。いつでもゼロから始めなければいけないというのが一番怖い。声が聞こえてこないですからね。いいよーっていうのは自分の心の声でしかないから、いつでもぶつかるのは自分ですね。自分がそのなかに光を見たり寒さをみたりすれば、自分が寒くなるというその返事でしかない。自己模倣はできないし、そして常に進まなきゃいけない。逆に言ったら誰のことも気にしなくていい、作りたいものを作ればいいから、その意味ではやっぱり面白いですね。

●改めて、今回の展覧会のことをどう捉えていますか?

 本を出してから1年たって、予備校のころから描き続けてきて、16歳のときから向き合い続けてきて、30代になった今、すべてひっくるめてそれはなんなのか? 細かいことを考えていろいろぶつかって進んできた20代があって、これからも挑戦していくんだけど、また一段階上がれる気がするんですよね。それを愛と呼ぶんじゃないかと。どんなに私を嫌いな人でも絵を見てくれれば好きになってくれるという思いがあるんですよ。面倒くさいこと話すより、いいからいいから展覧会においでって(笑)。自分のなかに「ペインティング・イズ・マイラブ、書くことは私の愛」というコンセプトがあって、この空間をギフトとしてたくさんの皆さん、私を支えてくださった方に届けたい。愛ですね、私の愛。まるごと越ちひろ。こんなにすべての絵を見せるということは今後ないと思うんです。これからまた新作に走りたいと思うし、そういう意味ではスタートでもある。32歳の新作までを、ひと箱目のギフトとしてお渡しします。


  私は、私の体につく油絵の具を愛おしく思う。
  夜、寝る前に、足の裏や手についた絵の具をすべて落とさずに、少し残しておく。
  私だけの場所で、何か、消えてしまうような、現実と夢が入り交じったような、とても幸福な夜を過ごせる。
  そして朝起きたとき、あれは夢だったのかと、はっとして、すぐに昨日の絵の具まみれの私が夢ではなかったと、
  身体についた絵の具を見て喜びを感じる。
  私は、絵の具の中に存在を重ねていたい。今はそう、思う。

 越ちひろのサイトには、こんな言葉がある。私は、この言葉に、彼女の描くことへの愛を感じずにはいられない。
絵の具、好きなんだろうな。ジーパンについているのも、ワインの染みか、絵の具の染みか分かんない(苦笑)。複雑ではあるんですけどね、仕事してるんだ、絵描いてるんだぞという安心なのかもしれない。絵の具ってなんだろうな。子供みたいなもの? おもちゃかな? 宝石みたいなものかなもしれない、キラキラしているものなんです。わくわくもする。私、マニキュアを一生塗らないと決めたんです。絵の具がついているほうが私らしいんじゃない、自分の手が一番きれいなのは絵の具ついていているときだと思うんです。

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1980年、長野県千曲市生まれ。2006年に東京造形大学造形学部美術学科絵画専攻卒業、現在は地元にて創作活動を展開中。最近の活動に「越ちひろ 300枚のdrawing展 Blood Diamond」 「越ちひろ展・Birthday」 「NAGANO 新 CONSEPUS―長野ゆかりの若手アーティスト10人展―」などの展覧会出品、長野県内のミュージシャンによる東日本大震災チャリティーコンピアルバム「Back To Ordinary Days」ジャケット、子宮けいがん検診啓発イベント「愛は子宮を救う」にてライブペイント、大信州酒造「みぞれりんごのうめ酒」ラベル、信濃毎日新聞花の挿絵連載、村上ポンタ秀一ドラムセットにペイント、店内壁画を多数。受賞歴は2004年トーキョーワンダーウォール賞受賞、 2006年、東京造形大学卒業制作展にてZOKEI賞、2011・2012年「境内アート小布施×苗市」にて、アート部門優秀賞など。

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