リトルプレスの扉の先に #01|栞日

#01|栞日

 栞日(しおりび)という場所を開いて、2年が経ちました。「何のお店ですか」開業以来、よくお尋ねいただく質問です。「本と珈琲のお店です」大抵そのようにお返事しますが、我ながら、分かるような分からないような返答です。「どうして松本なのですか」これも、よくお尋ねいただきます。「街から眺める山並みに惹かれて」もちろん嘘ではありませんし、実際それが決め手でしたが、それだけでないことも、また、確かです。栞日は、何の店なのか。静岡で生まれ育って、茨城で大学時代を過ごした自分が、どうして松本で開いたのか。3年目に入るにあたって、先日、改めて考えてみました。

 栞日という場所をつくろうと思い立ったのは、大学2年の秋。当時の講義ノートは、店名候補で埋め尽くされ、その脇にはこう綴りました。「好きな街に暮らし、好きなことを仕事にする」。栞日という名前には「流れ続ける日常に栞を挟んで、ひと呼吸入れる」という意味を込めています。訪れる人たちにとって、そんな場所になればよい、と。

 卒業後、就職の関係で移り住んだ松本は、民藝、演劇、美術、音楽など、文化の薫りに包まれていて、居心地のよい街でした。と同時に、その文化的ポテンシャルの底は見えず、まだまだ足りないピースも多いように感じました。そのひとつが、書店。とはいえ、専門性の高い老舗古本屋も、個人経営の新刊書店も、全国展開のチェーン店も、ひと通りは街にあって、とりわけ不自由はありません。ただ、小規模出版物(リトルプレス)を店の主役として紹介するスポットは、まだ見当たりませんでした。この街で本屋をやろう。リトルプレスのセレクトショップを。いつしか、思うようになりました。この街にはクリエイター気質の人が多い、と来た当初から感じていました。松本で全国の様々なリトルプレスを紹介することが、この街の創造力を引き伸ばす一助となれば。僭越ながら、そんなことを夢見つつ、始めた場所が栞日です。

 リトルプレスという出版物の特性のひとつに、制作者と販売店の距離の近さが挙げられます。一般的に、新刊書店が書籍を入荷する場合、取次と呼ばれる卸業者が、出版社と書店の間に入りますが、リトルプレスはそういった大きな流通経路に乗らない場合が多いため、基本的には制作者一組ひと組とダイレクトにやり取りをします。自然と、制作者とのコミュニケーションは密になりますし、書き手がその発行物に託した願いも、熱量そのままに受け取ることが叶います。

 栞日を始めて2年。これまでにも、制作者とのやりとりを繰り返す中で、ご本人と直接お会いしたり、そこから何らかの企画に発展したりすることが、何度かありました。書き手と読み手を、本を介して繋げることが、本屋の役割だとしたら、そういった企画は、書き手と読み手が、より近い距離で交流する場を創出することでもあり、このポジションを担う者としての醍醐味でもあります。そしてそれは、リトルプレスに前述したような特性があればこそ、地方の個人店にも実践できたことなのでしょう。

 書き手と読み手、より一般化すれば、メーカーとエンドユーザーが顔を合わせる機会は、ネットが主流のこの時代、少なくなる一方です。その時勢に、あえて紙という媒体を選び、考えや想いを綴った誰かと、そのメッセージを受け取った誰かが、直接出会うことで始まる物語には、さまざまな創造性の種が潜んでいると信じています。これからも栞日は、松本にリトルプレスというカルチャーを届ける中で、読み手が書き手と出会い、新しい一歩を踏み出すヒントを見出す機会を提供できたら、と考えています。

 この枠では、栞日の棚に並ぶリトルプレスによって紡ぎ出された、人の縁とそのエピソードを、記録していきます。不定期の投稿になると思いますが、お付き合いいただければ、幸いです。

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