劇団ハイバイ『ワレワレのモロモロ』〜鈴木励滋

 劇団ハイバイの主宰で、劇作家/演出家の岩井秀人が上田市にあるサントミューゼで滞在制作した『ワレワレのモロモロ』の東京公演の映像が8月28日(日)まで配信されている。(購入後は一か月視聴可能)
 配信の「おまけ」には、俳優自身が体験したモロモロを自分たちで書き仕上げていく際のメイキング映像が、なんと73分というボリュームで付いている。これを見せたいがための配信なのではないかと思うほどに素晴らしいドキュメンタリーなので、「本編」を見てから「おまけ」を見て、さらに本編を見返していただきたい。さらに繰り返し繰り返し見てもよいくらいのものだと思っている。
 そうすれば、『ワレワレのモロモロ』が何たるか、また岩井にとっての演劇がどんなものなのかが見えてくるに違いない。そしてあなたも「ワレワレ」であったのだと気づくことになるだろう。あなたにとっての演劇の可能性も、感じられるかもしれない。
 
 未見の方は「自分の身に起きたことを本人が演劇にする」というコンセプトを聞いて、「赤裸々な暴露」みたいなものと侮ってしまうのだろうか。出演者もそうであったのかもしれず、たとえば「宝塚歌劇団出身のわたしのちょっと変わった初体験」みたいなものを暴露して十分だと思っていた節のある秋草瑠衣子が、「こんなところまで出さなきゃいけないの?」と困惑しつつ加筆を進める様子もドキュメンタリーには収められている。「こんなところ」まで書き加えた後の初めての稽古で、怒りにも似た秋草の激情とともに吐かれたセリフによって、岩井も放心させられる様子が映し出される。
 結局そのセリフは本編の最後の部分となるのだが、とても穏やかなシーンとなっていた。
 岩井から「これはあなたが思っているより伝わる」普遍的なテーマであり、臆さず「保険」を打たずというようなアドバイスを受けて、出来事の表層だけではなく、その時に感じていた心の深淵と向き合ったのではないか。だからこそ、最初は思い出せないくらい閉じ込めていた激しい感情を、あの時から幾星霜を重ねた彼女の人生の度量によって受け止められ、かくも印象的なシーンへと昇華されたのではなかったか。
 あのラストのセリフはその他すべての作品を逆照射するだけでなく、見る者すべての人生に響くほどの強さを獲得していた。ドキュメンタリーを経てからもう一度見ることで、その理由、つまり『ワレワレのモロモロ』の秘密の一端を知ることとなるだろう。
 


 
 そしてまさしくこれは、岩井秀人という演劇人がやって来たことそのものであった。
 最初の作品『ヒッキー・カンクーントルネード』で自らの10代後半からのひきこもりのことを描き「笑えるトラウマ」なんて言ってもいたが、再演を繰り返す中で岩井自身の受け止め方も変わっていった。どうしようもない自身のしんどさの発散から、他者の痛みに寄り添う方へと。続篇の『ヒッキー・ソトニデテミターノ』では、たまたま演劇に救われた自分の使命として、同じように生きづらさを覚えている誰かへと「救いうる力」を及ぼそうという決意が見て取れた。
 
 それゆえ、今回の『ワレワレのモロモロ』の創作の過程のあれは、岩井が秋草を追い込んでいたのではなく、「受け手を信じてもっと晒してみなさいよ」と呼びかけたのではないかと思った。かつての自分がそうであったように、わだかまりを晒すことで初めて誰かに届くし、それで誰かが救われるかもしれないし、自分のそれも解けるかもしれないからさ、と。
 
 かたや岩井も、『ヒッキー・ソトニデテミターノ』からの10年ほど、他者を取材して作るなども試みていたが、常に新しいものを求められる「小劇場演劇界隈」から、期待感よりも「消費される感」を覚えて、距離をおきつつあるようにも見えていた。5年ほど前から「新作は書かない」とあちこちでもらし、このまま演劇から離れてしまうのではないかと危ぶんでいたところにコロナ禍が来た。
 

『ワレワレのモロモロ』より  ©︎坂本彩美

 
 わたしの本業は障害がある人たちとの活動なので重症化リスクの高い人もいて、コロナ禍になってから劇場どころか外出もほとんどしなくなった。昨年から、岩井をはじめ様々なアーティストを、付き合いのあった障害福祉事業所に招いてワークショップを実施しているのは、行けないなら来てもらおうという下心もあったかもしれない。けれど、障害がある人たちの日常を豊かにするのに「演劇の力」は頼もしいに違いないと、かねてから思っていたことは確かだ。
 岩井は、横浜で最も古くから活動する事業所の一つ、精神障害がある人たちの地域活動支援センター「むくどりの家」で隔月くらいのペースでワークショップを続けている。むくどりの人たちはもともと自分の体験や気持ちを言葉にして講演するなどの活動をしてきてはいたけれど、そういうのとも異なり、「髪を切ってもらっている間に美容師と何を話せばいいのか」とか「父と妹のケンカでモヤモヤした」みたいな話をする中で、岩井が「じゃあ、やってみましょうか」と言って、そのシーンを演じてみる。誰かの役をやったとてその人の気持ちまではわからないにしても、いろんな人の解釈を目の当たりにすると世界の見え方がちょっと変わる。自らを晒せば晒すほどその振り幅は大きくて、一人の頭の中で煮詰まっていたことが解き放たれることもある。まさに「むくどりのモロモロ」なのだが、作品にすることを目的とはしていない。
 
 先日掲載されたインタビューで「最初はとにかく面白いものをつくらねばと焦ったんですけど、そのうちに時間こそが大事だと思うようになって。だから時と場合と、参加者によってはお客さんを目の前にした本番はない方がいいという判断も必要になってくると思い始めています」というのも、もしかするとむくどりの家での経験によって、岩井自身があらためて演劇の力を信じられたということなのかもしれない。
 
 インタビュー記事の中では、「自転車」と「マスカット」の話がとてもおもしろい。
 岩井は毎年1~2本の新作を書き・稽古し・上演するのでは得にくくなった手応えを、修理した自転車や育てたシャインマスカットを誰かに手渡すかわりに感じていたのではないか。そして、久しぶりの『ワレワレのモロモロ』は一皮むけて、自らが演劇によって救われた経験を手渡すようだったから、自転車やマスカットでのような手応えを岩井にもたらしたのではないか。
そんな風に思えるほど、メイキング映像に見る上田での岩井はイキイキとしていた。他の演者も創作に苦しみながらも、誰もがイキイキとしていた。『ワレワレのモロモロ』が、作品として、もしくは作品にすることを目指さないワークショップとして広まっていくと、世界も少しはマシになるんじゃないかと期待している。
 
『ワレワレのモロモロ2022』東京公演の収録映像が7月24日(日)より配信開始!
 
特典映像として、3週間にわたる上田での滞在制作期間から東京千秋楽までに密着したメイキングドキュメンタリーも配信します。
本編映像:135分 
<収録編集 安達亨介>
特典メイキングドキュメンタリー:73分
<監督 尾野慎太郎>
映像配信期間:2022年7月24日(日)12:00〜8月28日(日)23:59 ※購入後30日視聴可能金額:2500円(税込)

 

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