[ようこそ、信州へ #018]矢部達哉(ヴァイオリニスト)

ヴァイオリニスト
矢部達哉さん

 

「コンサートマスター」が何かと聞かれれば

わからないと答えます

なぜなら、やればやるほど奥が見えてくるからです

 

サイトウ・キネン・オーケストラのコンサートマスターとして活躍されている矢部達哉さん。東京都交響楽団に所属し、洗練された美しい音色と深い音楽性が、聴く者を魅了している。その矢部さんが松本市のキッセイ文化ホールで『ヴァイオリン矢部達哉&弦楽アンサンブル~没後1周年エンニオ・モリコーネに捧ぐ~』を開催する。エンニオ・モリコーネは世界的な映画音楽の巨匠として知られ、ジュゼッペ・トルナトーレ監督の「ニュー・シネマ・パラダイス」など数々の代表作を誇った。このコンサートは、残念ながら2020年7月に亡くなった彼への追悼の意味もある。矢部さんにお話をうかがった。
 

松本で弾くのは、ほかの都市とはまったく気持ちが違う

 

――コロナ禍もあって2020、2021年と続けてセイジ・オザワ 松本フェスティバルは中止になってしまいました。しかし今年は9月3日と5日に、オーケストラ コンサートBプログラムの配信が行われ、3日間で約33,000人がご覧になっていました。その感想から教えてください。

 
矢部 実は今年もサイトウ・キネン・オーケストラ(SKO)として松本市に集まれるとは思っていなかったんです。それが配信のために集まることができると聞いたときは純粋にうれしかったですね。僕は1992年から夏はずっと松本で過ごしていましたから、第二の故郷のような街なんです。昨年、今年とフェスティバルが開催されず、なんだか自分の人生の大事な部分を奪われてしまったようでした。久々に音を出したSKOについても、また別の新鮮な気持ちが生まれ、心にすごく響きました。シャルル・デュトワさんの指揮は言葉にできないくらい素晴らしいものでした。もちろん配信ということで、音で空気が振動することによる直接的な感動をお渡しできたかと言われたら違うかもしれませんが、それでもたくさんの方々に観て、聞いていただけたのは僕たちにとっては望外の喜びでした。

 

――そして、12月にキッセイ文化ホールでコンサートを開かれます。

 

矢部 僕はキッセイ文化ホールで本当に素晴らしい経験をたくさんしてきましたし、同時にすごくシビアな状況で弾かなければいけなかったこともありました。そういう意味では特別な、精神的にプレッシャーのかかるホールなんです。楽屋口に入るときでさえ緊張を覚えます。実は今度の『ヴァイオリン矢部達哉&弦楽アンサンブル~没後1周年エンニオ・モリコーネに捧ぐ~』も怖いという思いがあります。SKO、OMFとは関係ないんですけどね(笑)。曲も編成も違うけれど、キッセイ文化ホールに行って、松本の皆さんにお会いするということにおいて、もう無意識、無関係ではいられないんです。ほかの都市で弾くのとはまったく気持ちが違います。

 

――このコンサートが企画された経緯などを教えていただけますか?

 
矢部 実は何年か前に、同じプログラムでやらせていただいたことがあるんです。それも寒い時期でした。映画に造けいが深くていらっしゃる現館長さんから「またあれをやりませんか」とお話をいただいたんです。ちょうど去年、モリコーネさんが亡くなったこともあって、やらせていただくことにしました。どちらかというと普段やっているものとは全然違う企画ではあります。レアという意味では松本でしかやっていないんですよ。

 

映画音楽という枠を超えて語り継がれていくべきもの

 

――モリコーネと聞いたときに意外な感じがしました。モリコーネさんとはどういうつながりがおありになるんでしょうか?

 

矢部 あるときにレコード会社から「モリコーネさんにオファーしてみたら曲を書いてくれることになった」と連絡があったんです。僕にしても「ほんと?」という感じでした。そして実際に曲ができてきて、これはレコーディングするしかないでしょうという話になり、慌てていろんな曲を集めてCDをつくりました。それが『矢部達哉 Dear Morricone』です。

 
 

 
 

――ある意味、レコード会社のフライングだったんですね。

 

矢部 ねえ(笑)。今から思えばすごいことなんですけど、僕にとってベートーヴェンやモーツァルトを日常的に弾くのとは違って身近に感じる存在ではなかったですから驚いたというのが正直なところです。知らない曲も多かった。しかしでき上がってきた「心澄みやかなるヴァイオリン弾き」という曲は本当に美しかったんです。モリコーネさんとはそれが始まりと言いたいところですが、それ以上の関わりはないんです。でもそのCDがとても好評をいただき、友達からも「涙が出た」という感想をいただきました。僕にとってあまり聞いたことのない種類の感想だったので大事な思い出として残っています。それに書いてくださった曲は、僕以外は誰かが弾いているわけではありませんから、大事にしなければという気持ちもあります。いずれにしてもモリコーネさんの音楽は、映画音楽という枠を超えて、美しい音楽としてずっと語り継がれていくべきものだと思っています。

 

――いくつか、聞きどころをうかがってもいいでしょうか?

 

矢部 ヴァイオリンは一言で言えば、旋律を美しく聴かせる旋律楽器だと思います。その意味ではどの曲を聴いていただいてもヴァイオリンの美しさを感じていただけると思うんです。その中でもやはり一番大事なのは「心澄みやかなるヴァイオリン弾き」という僕のために書いてくださった曲、そして「ニュー・シネマ・パラダイス」でしょうか。この二つはちょっと飛び抜けていい曲だし、親しみやすく聴いていただけると思います。「ニュー・シネマ・パラダイス」はずるいですよね。映画の光景が浮かんできちゃいますから(笑)。やはりあの一番切ないシーンが浮かんできます。純粋な器楽の音楽は、作曲家がどういう気持ちで書いたとか、どういう光景を思い浮かべていたかなど自分で想像しなきゃいけない。

 

 

――今回、共演される方々は矢部さんがお選びになられたのですか?

 

矢部 松本に行くのだったらSKO、あるいは小澤征爾音楽塾、小澤征爾音楽塾オペラ・プロジェクトでの経験のある方々をできるだけ呼びたいと考えました。かたや松本と言えばスズキ・メソードの一番の拠点です。コンサートマスターをお願いしている山本友重さんもスズキ・メソードのご出身です。松本という地にシンパシーを持った人たち、あるいは松本市民の方々が「あの人!」と思われるような方々を、できるだけこだわりを持って選ばせていただきました。言ってみれば松本布陣、東京だったら一緒にならないメンバーばかりです。本当に優秀な方々ばかりを集めることができ、とてもうれしく思っています。

 
 

(C)2015OMF/山田毅

 
 

――最後の質問です。これは今回のコンサートとは関係ないのですが、コンサートマスターというお仕事について、やりがいとプレッシャーについて教えていただけますか。

 

矢部 一番難しい質問です。インタビューでも「コンサートマスターって何ですか」と聞かれるんですけど、わかりませんと答えることが多いんです。コンサートマスターについて熟知しているだろうと思われるかもしれませんが、やればやるだけ奥行き、奥の広がりが見えてくる。もしかしたらマニュアルが存在するのかもしれないけれど、それをやればできる職業かと言われると、そういうものではないんです。だから「わからない」という答えをしてしまいます。ただ僕が一番気をつけているのは、一緒に弾く人たちのモチベーション、こう表現したいという意欲などを削がないこと。そしてもし周りの人たちが持っている実力を普段以上に引き上げることができているとしたら、コンサートマスターとしてうまくできているというイメージがありますね。そのためには自分自身がいい状態でいなければいけない。寝不足で出かけるとか、悩みごとを抱えていたりとか、しょっちゅう風邪をひいているとか思われているようだと、この人に付いていこうという信頼が失われてしまう。そこは常に気をつけています。音楽家としてヴァイオリニストとして、勉強、勉強、練習、練習は基本中の基本ですけど、それをやり続けることの重要性はやればやるだけわかってくるんです。
 

――都響とSKOでも違ったりしますか?

 

矢部 かなり違います。都響は家族同然ですから、責任感がぶわっとのしかかってくる感じがあります。お父さんは指揮者かもしれませんが、その次くらいの責任感はいつも感じていますので、なかなか楽しいとは言えない。逆にSKOは頼りがいのある方ばかり。若いころに教わっていた先生、もう何十年も知っているヴァイオリンの豊嶋泰嗣さん、ヴィオラの店村眞積さん、川本嘉子さんなど寄りかかれる方々がたくさんいる。それぞれがそれぞれの場所ですごく大きな責任を持ってやっている方ばかりなので、重圧など言わずとも共有できるものが多いんです。また困ったときに手を差し伸べてくれるような暗黙の空気みたいなものがあります。SKOはめちゃくちゃ上手いオーケストラだし、世界的な評価も高いし、ものすごくシビアで、プレッシャーもすごいと思われるかもしれないけど、僕にとっては、もちろんギリギリのものは要求されますけど、精神的にはかなり楽ですね。楽しいです。少しだけ放課後な感覚があります。時々一番後ろで弾かせてもらうこともあるんですけど、目の前にヴァイオリンを弾いてる人たちがたくさんいて、この人はこういうふうに弾いてるんだとか見たりするんですけど、興味深いことがたくさんありますよ。

 
 

 
 

――最後にお客様へのメッセージをいただけますか。

 

矢部 僕が松本のことをどれだけ好きかを言葉で表現するのは難しいのですが、松本に行けなかった期間は、パズルの大事なピースが欠落しているような状態でした。だからこの夏に伺えたのは非常にうれしかった。その時は無観客でしたが、12月にはできるだけ多くの皆さんとお目にかかりたいですね。コロナは難しいもので、まだまだ窮屈さやストレスを感じる場面があるかもしれません。つかの間ですけど、美しいメロディを聴いて心に潤いを与えいただく、そんなコンサートにできたらと思っています。
 
 
 
 

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