[聞く/entre+voir #032]小川 格(画家/ギャラリー・バードハウス提案者)

画家/ギャラリー・バードハウス提案者
小川 格さん

 

ホワイトキューブのギャラリーから無防備な屋外を作品を持ち出すことは

現代アートの敷居を取り払って、親しんでもらうことにつながる

 

作家が“タイトルをつけてほしい美術作品”を展示し、鑑賞者はその作品のタイトルを考えて応募、そして作家が相応しいタイトルを選び、タイトルを考えた鑑賞者には作品がプレゼントされ、作家はタイトルを使用する権利を得るという「メイメイアート」。公共空間にアート作品を展示し、鑑賞者がヒントの地図を片手に宝探しのように空間をめぐって鑑賞する「イナイナイアート」。茅野市民館・茅野市美術館の市民による事業提案で、そんなユニークなアイデアを考えてきた茅野市在住のアーティスト、小川格。2017年の八ヶ岳JOMONライフフェスティバルの一環、縄文アートプロジェクト2017で実現した「ギャラリー・バードハウス」が、茅野市内5つのミュージアムの野外スペースで久しぶりに開催されている。
 
 

アート作品が街に設置されることで、見慣れた景色にも新たな発見が生まれるはず

 

――「ギャラリー・バードハウス」は、公募作家30名のアート作品が、街の並木に小鳥の巣箱(バードハウス)のように展示する企画でした。2017年は、茅野市民館の中庭と駅から茅野市役所に続く通りにアートの巣箱が並んだのを、見て歩くのが楽しかったのを覚えています。

 
小川 ありがとうございます。最初に事業提案した当時、茅野市役所前に120本くらいプラタナスの並木があって。どうやら今後、電線を地下化するためにどの程度の本数かはわかりませんが伐採も検討されているようですね。僕は毎朝この並木道を車で通って子どもの送り迎えをしているんですけど、その時にふと思いついた企画です。鳥の巣箱の中に、と言っても僕としてはそれはギャラリーという想定なのですけど、いろいろな作家のアート作品が並んでいたら面白いだろうなと。その前後にやはり事業提案で「メイメイアート」や「イナイナイアート」をやらせてもらったときも同じ思いなのですが、アーティストやアートがもっと社会と接点を持った方がいいとずっと思っているのです。ですがやっぱり現代アートってすごく敷居が高くて、難解で、一般的には近づきがたいイメージがあるじゃないですか。

 
 

「ハームレス・モデルハウス(無害な住宅見本)」(2017年)

 

「セルフ・サーフェス02」(2017年)

 
 

――ウンウン、そうですね。

 

小川 それで街中に巣箱のようなギャラリーを設置したら、現代アート云々抜きでも、ふだん見慣れた景色をも含めて、世界が違って見えるんじゃないかなって。自分もそうですが、人は普段見慣れたものをよく知っているつもりでいますが、実はそうではなくて、見ているつもりで実は全然見ていない、見えていないものがたくさんあります。アート作品のみを見てもらいたいわけではなくて、そこにアート作品が置かれることによって見慣れていると思い込んでいる無感動な世界を、改めて新鮮に捉え直す契機になればと思うのです。「ああ、ここにこんな面白い模様の木が生えていたんだ」とか、さらに「イモムシは何で自分の食べられる草を知っているのかな?」とか、「枝に並んでいるムクドリは兄弟なのかな?」とか、例えば子どものころに見ていた世界って、毎日とても新鮮で刺激的だったと思うのです。アートが開く可能性ってそういう人が生きている世界認識の拡張とか、繊細な感覚の再発見や更新とか、そのようなことじゃないですか。何かちょっとしたきっかけで世の中の見え方が変わる、変えられるかもしれない。自分はアートによってそんなことができたらいいなと思っているわけです。

 

――「バードハウス」という発想が面白かったですね。

 
小川 まあそのへんは詭弁でもあるんですけど(笑)。ギャラリーのことをホワイトキューブと言いますよね(*公共性に支えられた近代の美術館制度が制度としての「美術」を存続させるためには中立性を担保する「白い立方体」の象徴的空間=「artscape」引用)。それに対する批判的な意味合いもあるのです。ホワイトキューブは物理的にも、制度的にも守られた空間じゃないですか。僕の中ではそれこそ現代アートの敷居の高さの象徴のように感じることがあるのです。けれど現代アートを逆に無防備な屋外に出すことによって、一般の方がアートに対して感じている敷居を取り払って、もっと親しみやすくならないかなという思いがずっとあったんですね。

 
 

 
 

――このコロナ禍で文化芸術と社会の関係性や必要性が問われることもありましたしね。

 

小川 まさに、その社会とのつながりです。ここは難しい部分でもあると思うのですが、コロナ禍において広く言われた「不要不急」という言葉は残念ながらアートにも当てはめられてしまいました。でも僕が信じるのは、ある不特定多数の人びとにとって、アートは仮に「不急」ではあったとしても決して「不要」では無かったはずだということなのです。自分の話に引きつけて矮小化してはいけないのですが、例えば僕などはコロナ禍の状況下で人と会えなくなることなんて、自分には影響を与えないと高をくくっていました。でも実際はまったくそうではありませんでした。参加予定だった展覧会は大小7つほども中止または延期となってしまい、友人の個展や美術館の展覧会へも観にいくこともできませんでした。そのことによって起きた変化は、想定を大きく超えた不調をジワジワと僕にもたらせました。つまり制作に確信がまったく持てなくなってしまって、何を描いても完成という着地点を見出せなくなってしまい、グルグルと一カ所で足踏みをしているようで、自分が何をやっているかがわからなくなってしまった。
 そういう意味でも、今回の「バードハウス」の開催は本当に身に沁みてありがたさを感じました。作品発表というある種の気持ちの区切りの必要性、作品が他者の目に触れることによって初めて自分にももたらされる客観性、アトリエが一旦空っぽになる物質的リセットの重要さなどがつくづく身に沁みました。今回の作品設営のときにサポーターの方々がお手伝いくださったのですが、その何気ない会話などによってもとても心が癒されました。家にこもって絵を描いているだけでなく、美術作家も世の中との接点を持って初めて社会の一部として成立することに改めて気がつきました。

 

――作家としては作品をつくるときにやっぱりホワイトキューブを意識することになりますよね。

 

小川 はい。僕もそうですが、絵描きは基本的には白い壁、白い空間を想定していると思います。実は僕は岐阜県美濃加茂市の美濃加茂市民ミュージアムに隣接する「みのかも文化の森」で行われている屋外展に毎年ずっと参加していたことがあって、それがすごく楽しかったんですよ。白い壁を想定した作品をつくるときとは、まったく違う頭の回路を使うことが。すごく新鮮で、面白くて、挑戦しがいがありました。

 

――その屋外展は森を巡りながら絵を見ていくわけですね。

 

小川 そうです。こぢんまりした森に、いろいろな作家が絵のみに限らず好きな場所に自分の作品を展示するわけです。それはバードハウスではなく、インスタレーションが多かったんですけど、形を変えてそうした企画を茅野でもできたらいいなと思ったのが始まりです。

 
 

「ヘビー・メモリー(重い思い出)」(2021年)

 

「ヘビー・メモリー(重い思い出)」部分(2021年)

 

「真夜中のカッコー」(2021年)

 
 

将来は茅野市役所前のプラタナス並木を「バードハウス」で埋め尽くしたい

 
 

――バードハウスという手法をイメージしたのはなぜですか?

 

小川 理由はいくつかあるんです。まず屋外展示なので作品を保護する意味があります。そして遠方の人が参加するときに、本人が茅野まで来られなくても箱状だから、そのまま郵送できるというメリットもあります。送ってもらえれば、こちらも木にかけるだけですから。そしてもう一つは、ギャラリーは回廊という意味ですけど、その逆というか、入れ子的な意味合いになりますが並木道や林という回廊に、ギャラリーとしての箱が並んでいるという、さっき言ったホワイトキューブに対するメタファーです。前回は実際作品が集まったときの最初のイメージとしては同じフォーマットのバードハウスがずらっと並んでいるというものでしたが、結果的にバードハウス無しのインスタレーション的な作品を提案したアーティストも少なからずいて、それもまた楽しかったです。

 

――あ、巣箱は主催者側でつくったわけではないんですね? だから、巣箱がたわわなものもあれば、本当に巣箱的なものもあったのか。

 

小川 そうです、そうです。巣箱も作家がつくるんです。
 

――そして今回は、茅野市民館・茅野市美術館、茅野市尖石縄文考古館、茅野市八ヶ岳総合博物館、京都芸術大学附属康耀堂美術館、笹離宮それぞれの野外スペースになりましたね。

 

小川 茅野市内の5カ所の場所に広がりました。だから車での移動になってしまうのですけど、各ミュージアムをめぐりながら鑑賞していただくスタイルになります。茅野市美術館の前田館長がそういう提案をしてくださったのです。前田さんは茅野市のミュージアムめぐり的な企画を何年もやってこられていて、ネットワークをつくっていらっしゃったので、それも面白いと思いました。
 
 

茅野市民館・茅野市美術館

 

康耀堂美術館

 

笹離宮

 

尖石縄文考古館

 

八ヶ岳総合博物館

 

――街中にあるのも面白いと思いますけど、どうしてもたくさんの色があり、情報がざわざわしてるから目立ちにくいのが残念でした。自然の中で見るのも、いいかもしれません。

 

小川 この企画を提案したとき、当時の茅野市民館・茅野市美術館の辻野館長は茅野市運動公園の森でやればいいのにとか言ってくださって(笑)。桜の並木やほかにもたくさんの木々があって綺麗なんですけど、すごく大規模に募集かければ、何とかできないこともないかもというくらいの広大さなんです。ただ屋外の展示で難しさがあるのは、監視カメラがあるわけでもないので、盗難とか壊されたりとかするのが一番怖いのです。アーティストの作品をお借りして展示するので、その点は大変気を使います。もちろん前回もそういうことはありませんでしたが、美術館や博物館の敷地内なら積極的に何か悪いことをしようと思わない限りは、そういう可能性も少ないと思うので。

 

――今年は何点ぐらい集まったんですか?

 

小川 作家は24名ですね。本当は30名で募集したんですけど、コロナの影響でだいぶ想定より少なかったのです。ただ1人1作品とは限らないから、結果的に総出品点数は60数点程になりました。作品の種類も豊富で良かったと思っております。まあ欲を言えばキリはないのですが、個人的にはもう少し数があっても良かったかなとも思いますが、でも程よいヴォリュームに展示されてとても楽しめる展示となりました。

 

――無責任に言えば(笑)、最終的に街中に拡大されると面白いですね。そのときはお手伝いします!

 

小川 そうですね。それはきっと面白い事態になるでしょうね! 今回も僕としてはプラタナスの並木道を全部アート作品で埋めたいと思っていたんですけどね。
 

――それができたら壮観ですね。プラタナス並木があるうちに、頑張りましょう

 

小川 そうそう。それを聞いて残念だなと。「広報ちの」にも「無電柱化事業」として「街路樹検討委員会」公募のお知らせが掲載されていました。どの程度の本数の木が切られてしまうかは正確にはわからないのですけれど、当時展示に使用した何本かのプラタナスは既に伐採されてしまいました。それから本当は今回、小学校でワークショップをやりたかったんですよ。児童さん方がつくったバードハウスの作品を、茅野市内の人目に付くエリアにまとめて飾りたいと思っていました。ただコロナ禍だったので学校でのワークショップも難しくなってしまいました。ワークショップをいくつもの小学校でやったとすればすごくたくさんの数のバードハウスができるから、本当にびっしり並木道に飾れたはずです。プラダンボールという小学生でも加工しやすく、雨にぬれても劣化しづらいプラ素材があって、それに例えば展開図をプリントし、組み立てれば工作が苦手な児童も手軽に立体がつくれるような「バードハウス」もアイデアとして考えていました。それはまだ未知ですが将来への楽しみですね。
 そうそう、今思い出したんですけど、以前プラタナスの花言葉を調べたら「天才」「非凡」なんですよ!!  まさにアートに通じるいい花言葉なんですよね!!(笑)。

 

 
 

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