[ようこそ、信州へ #014]木ノ下 裕一(木ノ下歌舞伎)

木ノ下歌舞伎
木ノ下 裕一

 

木ノ下歌舞伎版『義経千本桜』は初演の災害、再演の戦争の上に

コロナにより“分断”というテーマが載った物語になってきた

物語がしっかりしているから沈まないのが原作のすごさを感じてほしい。

 

京都を拠点に、さまざまな思考をめぐらせて歌舞伎を現代劇として上演する木ノ下歌舞伎(京都)が『義経千本桜―渡海屋・大物浦―』が、信州・まつもと大歌舞伎の関連事業の一環としてやってくる。主宰であり、作品の監修・補綴:木ノ下裕一に話を聞いた。
 
 

――松本へは3回目の登場になりますね。

 

木ノ下 2016年は杉原邦生さんの演出で『勧進帳』、2018年は杉原さん演出、北尾亘さん振付の『三番叟』、きたまりさん演出・振付の『娘道成寺』と過去二回、『信州・まつもと大歌舞伎』の関連公演として上演させていただきましたね。

 

――『信州・まつもと大歌舞伎』では串田和美さん演出の作品とともに歌舞伎の新たな可能性を見せてくださいました。

 
木ノ下 ありがとうございます。昨年はコロナ禍で松本で公演するはずだった『三人吉三』が上演できなくて残念でしたが、これで3回目、今回もとても楽しみにしています。僕らは歌舞伎や文楽などの演目を現代演劇としてつくり変えている団体。台本は歌舞伎だけれども現代の洋服で演じたり、せりふも時々、あるいは全編にわたって現代語に翻訳したり、作品によってさまざまな趣向を凝らして上演しています。松本の皆さんにも楽しんでいただけて、うれしく思います。

 

――今回は『義経千本桜―渡海屋・大物浦―』を上演します。古典のとても有名な演目ですね。木ノ下さんに、作品について紹介してほしいです!

 

木ノ下 『義経千本桜』は1747年に初演されました。つまり18世紀半ばの作品です。人形浄瑠璃、今で言う文楽が一番勢いのあったころで『菅原伝授手習鑑』『仮名手本忠臣蔵』という名作もこのころに誕生しています。『義経千本桜』を含めたこの3本は、竹田出雲、竹田小出雲(のちの二代目出雲)、三好松洛、そして並木千柳(宗輔)という名チームによる合作なんですね。それぞれが筆の個性を生かして、腕を競いながら書き上げているんです。また歌舞伎でも人形浄瑠璃でも一度も途絶えることなく上演され続けている本当に名作です。

 
 

『義経千本桜』撮影:bozzo

 
 

――全部で五段、『渡海屋・大物浦』はそのうちの二段目で、平安末期の源平の合戦、源氏が平家を滅ぼした歴史を題材に描いたものです。

 
木ノ下 おっしゃる通りです。しかし私たちが授業で習ったのは源氏が平家をどんどんどんどん追い詰めていって、最終的には関門海峡の壇ノ浦で平家は滅びたという歴史ですよね。この時の平家の実質的な大将が平知盛、源氏の大将が源義経です。義経が平家を負かして、知盛が死んでしまったというのが史実ですが、『義経千本桜』は大きな大きな嘘をついているんです。それが、死んだはずの知盛が実は生きていた!という独自の設定です。そして渡海屋という船問屋の主人に身をやつして義経に復讐を企てている……。もし知盛が生きていて、義経に出会ったらどうなるか、何を語るのか。というのが『渡海屋・大物浦』の大きな主題です。ご存知の通り、一方の義経も平家を敗った英雄、功労者にも拘わらず、兄の頼朝との仲違いによって追放され、命を狙われています。都落ちし、九州へ向かう義経が途中で現在の兵庫県尼崎の船問屋を訪れ、九州まで船を出してほしいというところから物語は始まります。その船問屋が偶然、知盛たちの営む渡海屋で、安徳天皇とその乳母と親子、夫婦を装って暮らしているわけです。知盛は素性がバレないように義経と接し、船を出したところで復讐を試みるのですが……という物語です。

 
 

歴史的な前提、歌舞伎を知らなくても

『渡海屋・大物浦』物語に入り込める工夫をしている

 
 

 
 

――『渡海屋・大物浦』は木ノ下歌舞伎にとって3度目になります。演出は東京デスロックの多田淳之介さんですが、3度の中で変遷はありますか?

 
木ノ下 木ノ下歌舞伎では、『義経千本桜』の物語を日本の近現代史と重ね合わせているんですね。ある時は天皇制の問題、敗戦や戦後処理などの問題が透けて見えてくる作品になっています。2012年の初演は3人の演出家による全幕通し上演でした。多田さんはその時から『渡海屋・大物浦』を担当してくださっています。初演は2011年の東日本大震災のことが僕たちにもお客様の中にも色濃くあって、平家の面々が海に飛び込んでいく――あれは単純に入水自殺をしているわけではなくて、海の底には都がある、安楽な世界があると信じているわけですが――その姿が震災で起きたことを想起させるものでした。2016年の再演は、前年が戦後70年だったことで、戦争の加害・被害の問題が顕在化されました。そして今回は新型コロナウイルス感染症という疫病の問題を通して、分断というテーマが新たに生まれてきた。『義経千本桜』にはまず源氏と平家という大きな分断がある。それから男と女という違いもある。男は戦う、その影で女性が戦乱のあおりを受けてどんどん死んでいくとか。ほかにも天皇と武士や庶民などの普通の人びととの間にも分断がありますよね。その分断をどう乗り越えることができるのか、または、できないのか。敵対する者同士がどうすれば和解できるか、ということを問う物語になったなと思っています。災害、戦争という問題の上にどんどん重いテーマが重なっていくという形で、マイナーチェンジをしています。ただ、それだけ要素を載っけても、物語がしっかりしているから沈まないのが原作のすごいところです。

 
 

『義経千本桜』撮影:bozzo

 

『義経千本桜』撮影:bozzo

 
 

――松本で見るころには東京オリンピックをテーマにした分断が際立ってくるかもしれませんね。医療関係者の判断だったり、選手へのワクチン接種の問題だったり、さらに重層的になってきています。

 

木ノ下 2、3月に東京で上演したときとは、いろいろ見え方が変わってきたかもしれませんね。知盛が沈んでいく時の衣裳はいろんなものをまとっているんですよ。よく見ると東京オリンピックのエンブレムも巻きつけているし、ミャンマー国旗も日本の旭日旗も。いろんな過去とか未来を巻きつけて海に飛び込んでいく。その纏ったものに、何を見るかで作品の印象はずいぶん変わるんじゃないかと思います。ラストシーンでは忌野清志郎さんの「イマジン」が流れるんですけど、そこにもいろんな音を載せているので注目してください。

 

――清志郎さんの「イマジン」含め音楽の使い方が大胆で、多田さんのポップさが非常に前面に出ていますよね。

 

木ノ下 選曲は多田さんの真骨頂ですよね。すごく有名な曲がいろいろ使われていて、中には強いイメージ性を孕んだもの、映画音楽など物語性に富んだものも少なくありません。すでに強い“意味”のついた曲をあえて劇の物語にぶつけています。それは歌舞伎の下座音楽に通じる面白さなんです。歌舞伎もすでに既存のイメージのある曲を使っている場合が多い。曲と劇を同調させたり、あえてギャップのあるものを選曲して対比させたりしていますよね。多田さんの婉曲は非常に歌舞伎的だと言うことができるんです。

 

――改めて『義経千本桜』はどんな作品でしたか?

 

木ノ下 いろんな奥行きがあって、日本の歴史を描き直す側面もあれば、日本の国の仕組みを映し出すような作品でもあるし、かたや能の『船弁慶』をパロディ化した作品でもあるし、いろんな文脈で成立している作品です。なかなか手ごわい。あ、そうそう! 木ノ下歌舞伎の『渡海屋・大物浦』は原作の通りに始まらないんですよ。前半30分くらいで、なぜ源平が争うことになったのかをものすごく早回しで描きます。それが終わって、やっと始まるかと思いきや、初段の義経が都落ちになる場面を描きます。ですから『渡海屋・大物浦』が始まるのは幕が開いて40分くらい(笑)。つまり歴史的な前提、歌舞伎を知らなくても物語に入り込める工夫をしているので、大いに楽しんでください。

 
 

 
 
 

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