[聞く/entre+voir #025]岩佐十良(自遊人代表取締役)

自遊人代表取締役
岩佐 十良

 

浅間温泉は長いにぎわいの歴史の中で今は少しお休みしているだけ

その地力を復活させるお手伝いができればと、『松本十帖』を決めました

 

「里山十帖」や「箱根本箱」など、ライフスタイルを提案するユニークなホテル経営で知られる自遊人代表取締役の岩佐十良さんにお話を聞いた。実は、岩佐さんがリクルートや角川書店の情報誌を手がけていたころ、僕も都内で同じような仕事をしていた。雑誌『自遊人』を立ち上げられ、メディアの可能性を広げる意味で拠点を新潟に移し、そして2014年には「里山十帖」というホテル運営に挑まれた。ホテルをリアルメディアと謳って。その動きがなんだかとても納得できるのだ。僕はその後に就職した公共ホールに、松本という街にメディア性を感じていた。そんな岩佐さんが浅間温泉に「松本十帖」をオープンすると聞いて、だから取材をお願いした。

 
 

松本はとても不思議で面白い街

 
 

――松本で宿を開業すると聞いたときにとてもワクワクしました。まず松本の印象から教えていただけますか。

 

岩佐 僕は基本的に、宿を開く場所に関してはご縁で決めてきたんですよ。小柳さんの場合も、元社長さんがご高齢ということで、引き継ぐ人を探していると八十二銀行さんからお話をいただいたんです。会社として小柳さんを引き継がせていただいたのは2018年3月でした。実際に小柳の社長とお会いしたのは、そこからさかのぼること1年半くらい前です。何回か社長や従業員の方とお話しさせていただきましたが、そのころはあくまでコンサルタントとしてでした。4年前から何度もお邪魔して、小柳という場所、松本という場所に来ることになったわけですが、その中で松本の街が非常に魅力的だと思ったんです。何が魅力的かといえば、まず松本は23万人という決して大きな街ではないにもかかわらず文化芸術に秀でていますよね。おそらく20万人都市で、これほど文化レベルの高い街は珍しい。もちろん文化芸術が盛んなことは知っていたのですが、松本を訪れるたびにそれを感じるようになりました。
 私自身が武蔵野美術大学に通っていたこともありまして、文化芸術に非常に興味があるんです。私が専攻していたのは工芸工業デザイン学科のインテリアデザインでしたが、椅子や食器といったものにも興味があったんです。この街は工芸の街としての歴史もあり、とても魅力的に感じました。また人口減少問題を抱えている街が多い中で、松本は人口流入が続いている。活力がある。学問でも非常に優れた街でもある。でも新幹線は通っていない。僕にとってはとても不思議で面白い街に見えました。

 

――そうおっしゃっていただけると、とてもうれしいです。では浅間温泉にはどんな印象をお持ちでしょうか?

 
岩佐 浅間温泉についてお話を伺いますと、松本の街以上に不思議な魅力を感じたわけです。5世紀に古墳があったとか、信濃の国府的な役割を担っていたとか、殿様のお湯だったとか、そうした歴史を聞くにつけて不思議だなあと。時代時代で非常に人を惹きつける魅力があったことがわかる。僕も吸い寄せられてきたんじゃないか、そんなことを感じたことがここに決めた理由ですね。
 僕が4年前に初めてここに来たところから、最終的に会社を引き継ぐまでに、仲の良い方々、あるいは松本の方々ともいろいろ話をしましたが、やっぱり最初に「なぜ浅間温泉?」と聞かれましたよ(笑)。「なぜ?」の裏には昔はにぎやかだったけれども、ここ20、30年はちょっと元気がなくて、浅間温泉の時代じゃないんじゃないの?いうニュアンスがあるわけです。でも私からすれば今はお休み中なだけだと。だって5世紀からバブルのころまでずっとにぎわっていたんですよ。おそらく地力はある。その地力を復活させるお手伝いを僕らができれば、活性化のお手伝いをできれば、と思ったわけです。
 
 

「学ぶ」をテーマに本とともに旅を体験できる西棟、「松本本箱」

 
 
――では新たにできる「松本十帖」のコンセプトを教えていただけますか。

 

岩佐 まず先にオープンした西棟、「松本本箱」はどちらかというと若い方を中心に、おしゃれに過ごしたい方々にお泊まりいただきたいと考えています。僕らが言うおしゃれとは、生活に気を遣う、自分のセンスを捨てないで暮らすということです。松本の特長である「3ガク都(学・楽・岳)」から「学ぶ」をテーマに選びました。「楽」や「岳」にも取り組んでいきたいですが、まずは本とともに旅を体験する場所にしたかったんです。そういう意味では決して本好きの人のためのホテルというわけではありません。感度を高く持ち、感性を持ってアンテナを張っていたい方にお泊まりいただけるホテルを目指しています。そして、こんな世界があったね、こういうものもいいよねということを体感していただきたい。それが「松本本箱」のコンセプトです。
 
 

 

 

 
 

――選書はどんなイメージでされているんですか?

 
岩佐 僕らは「箱根本箱」というブックホテルを運営していますが、「箱根本箱」のチーム、それからブックディレクターの幅允孝さんに選書していただいているんです。僕らの方からこんなイメージでということをお伝えをして、その先はお任せしています。お部屋にも共有スペースも松本らしさを感じさせるものがいっぱいあります。その流れもあって音楽とか芸術、工芸の本がすごく多くなっています。奥のブックバスのスペースには写真集ばかりを置いています。それは何かインスピレーションを感じられるものというブックディレクションをお願いしたからです。初めて見た方がこんな世界があるのか、面白いなあって直感してくださるような、視覚で頭に入ってくるようなものということで。地元の食材を使った料理を提供するダイニングレストラン「三六五+二」には食関連、ブックカフェ「哲学と甘いもの」には哲学書、ほかにも自然、家具、文化人類学などできるだけジャンルも広くて、普段接しないようなものを選書してもらっています。

 
 

 
 

「小柳」の名前と歴史を継承するファミリーのための東棟

 
 
――9月1日にプレオープンされた、お隣の東棟、小柳之湯さんはいかがでしょう。

 

岩佐 東棟は家族やお友達と、気兼ねなくお過ごしいただくことをコンセプトにしています。まず名前をどうしようか悩んだのですが、最終的に「小柳」という名前を残すことにしました。会社名も「小柳」ということで引き継いでいます。と言いますのは、かつての「小柳」は長野県の方、松本の方にとっては家族で行った、食事に行った、宴会で行った、誰かの結婚式で行ったなどの思い出がある旅館だと伺ったからです。同時になぜ「小柳」という屋号なのか調べると、隣の「柳の湯」は上級武士の湯、一番奥にある「枇杷の湯」は殿様の湯、そして「小柳」は下級武士やいろんな人びとがお湯に浸かった場所らしいんです。そう考えますと、かつての「小柳」がファミリーの宿としていろんな方にお越しいただき、歴史を刻んできたというのは、非常に理にかなっている。だったらそれを踏襲しようということになりました。でも内部は全部スケルトンにしてからリノベーションしましたので、まったく新しいホテルに生まれ変わります。窓が大きく、内装色も明るめで、ハイハイするようなお子さんも大丈夫なように畳の部屋もありますし、完全バリアフリーの客室もあります。二世帯用の部屋もあり、いろいろな家族の方々を想定をしています。また2階のエントランスフロアにベーカリー(パン屋)とライフスタイル提案をするショップが、地下のような1階フロアにはお子さんに楽しいんでいただく、インタラクティブな映像が流れるレストランが入っています。

 
 

 

 

 
 

――岩佐さんは工芸にも精通されているということで、ホテルの中で展開はお考えですか?

 

岩佐 そうですね。現時点では松本にはいろいろなギャラリーさんもございますし、クラフトフェアなどを育ててきた方々が築いてきた文化があります。まずは僕らもご協力できるところはやらせていただきながら、将来的にはそういうことをやっていきたいとは考えています。ショップにちょっと入ったりはしますが、まだ本体をしっかりつくるのに手一杯ですから。本当にここのオープンとコロナ対策でてんやわんやという感じでした。将来的に、3年くらいの近未来を目指して、そういう部分も力を入れていきたいとは思っています。

 
 

浅間温泉でチャレンジしてみようという動きに期待

 
 

――「松本十帖」が、浅間温泉にどんな相乗効果をもたらせばいいなあとお考えですか?

 
岩佐 これからの観光は、メディアを含めて成立するものだと考えています。ですから松本が魅力的でない限り、浅間温泉が魅力的でない限り、私どもの宿ができたくらいでお客様が来てくださるということはありえません。でも「松本十帖」ができたことでお客様の流れが変わった、面白そうだから浅間温泉にお店を出してみようという動きが起こってくれれば理想的ですね。浅間温泉には多くの空き家がありますので、松本市内でご商売をされている方が浅間温泉に2号店をつくってみようとか、場合によっては移転しちゃおうかという動きが現れ、湯坂と山の手通り、中央通り、浅間温泉のコの字型の道沿いに、いろんなお店ができてくればホットプラザ浅間さん、枇杷の湯さんなど日帰りの温泉施設もありますし、市内の方もお風呂に入りに来てくださるのではないでしょうか。それが松本や浅間温泉は全国で活性化の事例として面白いよねということで注目が集まり、いろんな方がいらっしゃるということに期待しています。
 浅間温泉はこれまで国はもちろん、県や市からもそれほど注目されていなかったようです。そんな浅間温泉に僕らは多額の資金をつぎ込んでいます。この「松本十帖プロジェクト」には、いわゆる地域活性化補助金、まちづくり補助金的なものは一切入っていません。僕らが目指しているのは民間主導型のエリアリノベーション。民間が活性化を主導して、後追いで行政が整備をしてくださることを期待をしています。浅間温泉が元気になってきたら、駐車場整備くらいはしていただきたい。それが唯一の希望です。そうすれば浅間温泉は家賃も安いですし、信州大学も近いですし、若い人がチャレンジするのには非常に面白い場所になるはずです。

 
 

宿泊受付を兼ねるコーヒースタンド「おやきとコーヒー」

 

 
 
――また温泉街を浴衣で歩くような風景が見られるといいですね。

 
岩佐 そう思います。実は僕ら、生地のパターン、デザインから浴衣をつくっているんですよ。年内にはなんとか間に合えばと思っています。原画は軽井沢のとあるアトリエさんにお願いしたもので、障害のある方が描かれているんです。それがとても素晴らしい。今ちょうど印刷のテスト中。テストが終わったら4、5種類の絵を布にプリントして、その布を今度は断裁屋さんを通して、浴衣の仕立屋さんにお願いすると。その浴衣ができたら、それを着て、皆さんに街を歩いてほしいです。

 
 

 
 

僕らが運営しているホテルはリアルなメディア

 
 
――岩佐さんのご活躍を拝見していると、宿泊が単なる旅行にとどまらず、地域に根づいた文化にゆっくり触れることだったり、生きるということに重きを置いた、さまざまなアイデアを提案されている気がするんです。

 
岩佐 僕はずっとメディアをつくってきた人間です。今はコロナのこともあってお休みしていますが、『自遊人』という雑誌を通して皆さんに何かをお伝えするということも続けています。僕は編集者歴は30年になります。転機になったのは2002年にお米の販売を開始したこと。僕らが雑誌でお米について1万字の文字をついやしたり、きれいな写真を使って紹介しても、実際に食べてその美味しさを味わっていただくことには敵わないんです。雑誌ではどうしても本当の空気感が伝わらない。映像にしたところでやっぱり伝わらない。僕らが新潟県の南魚沼に移住したのは、雑誌でライフスタイル提案をしておきながら、そのライフスタイルを体現していないことに違和感を感じたから。そして南魚沼の空気感を感じていただくにはお越しいただきたいということで、僕らは「里山十帖」という宿の運営を始めました。僕の言葉で言えばリアルメディア。宿はメディアの一つとして位置付けています。先ほど申し上げたこれからの観光はメディアを含めて成立するというのは、そういう意味でもあるんです。

 
――でも『自遊人』はとても素敵な雑誌だと思いますが、ユニークなのは奥付を見ても、いわゆる雑誌の編集部的な匂いがしないことなんです。

 
岩佐 ふふふ。実は編集部は存在しないんです。一人だけ専任がいますが、あとはみんな兼任。言ってみれば編集長の僕だって兼任ですから。多くのメンバーがほかの仕事もしながら、雑誌の仕事もやっている。その方が雑誌だけに携わっているよりも、新鮮で、気づかなかった着眼点を持つことができるんです。普段は企画をやっている人間、映像をやっている人間、キッチンやサービスを担当している人間など、いろいろなメンバーが雑誌をつくっている。もともと編集者だった人間が多いんですけどね、うちの場合は行ったり来たり。だからこそ、いろいろな視点が集まってくるので面白いわけです。

 
――まさに、先ほどのリアルメディアにもつながっていきますよね。

 
岩佐 そうですね。今は複合的にやっていかないといけないと思うんです。メディアだからって紙や映像に固執する必要はありません。紙メディア、インターネットメディア、テレビメディア、新聞メディアなどと言いますけど、「○○」とわざわざつける必要はないんじゃないですか。メディアはメディアです。むしろメディアに携わる人間が、いろんな伝達手段を駆使して何かを表現することが当たり前なのかと思います。

 

 
――岩佐さん、歩くメディアですもんね。

 
岩佐 それはどうかわかりませんけど(笑)、そうありたいですね。人間もメディアであるべきですし、自分の分身を通しなからいろいろ情報を出していきたいと思います。

 

 
 

インフォメーション