【今だから芸術を語ろう】斎藤 尚宏(「NPO法人油やプロジェクト」代表)

「NPO法人油やプロジェクト」代表
斎藤 尚宏

 

NPOへの寄付募集とグッズ販売でアーティスト支援

地域に根ざしたアーティストを、サポーターが応援する仕組みへの第一歩

 

軽井沢町追分に、展示ギャラリーがいくつも入った“油屋旅館”がある。厳密には今は旅館としての営業はしていないが、作家が素泊まりして創作をすることもある。時にはコンサートや落語の会なども行われる。ここはかつて堀辰雄をはじめ立原道造、加藤周一など名だたる文士・知識人たちが逗留し、執筆をした場所だ。運営するのは「追分コロニー」の店主・斎藤尚宏さんが代表を務めるNPO法人油やプロジェクト。“油屋旅館”は例年、11月からの冬眠を経て4月後半に目を覚ますが、今年は新型コロナウイルスの影響もあって5月28日が新年度のスタート。約束もせずにふらっと顔を出したが、斎藤さんは気さくに話し始めてくれた。

 
 


 
「油や応援講」は、こちら
 

――そろそろ年間スケジュールをいただきにと思ってやってきました。普段からカメラとICレコーダーを持ち歩いているんですが、もしよかったら、せっかくなのでお話を聞かせてください。

 

斎藤 結構、暇しているんで大丈夫ですよ(と言った途端、電話が3本立て続けになる)。いやぁ急に忙しくなりました(笑)。

 

――今年もいろいろ予定が詰まっていますね。そんなところにコロナがやってきて、オープンも先延ばしになりました。

 
斎藤 もうスケジュール表も刷ってたから困っちゃって。世間と同じで行政の要請に応じて開館を先延ばししていたわけですけど、なかなか厳しかった。運営側としての厳しさもありますが、アーティストと予定されていた展示をどうするか意見交換するなかで彼らの厳しさがビシビシと伝わってくるんです。それが精神的には大きなストレスになりました。話の内容は生活うんぬんよりは、自分のパフォーマンスをこれからどう表現していくのか、やっぱりウェブでやるのかなというようなことですけどね。一方でクラフト作家は、作品を販売するデパートの催事、クラフト市などがなくなっていることで、こちらは生活にリアルに直撃しているから非常に困っています。

 
 

 
 

――ギャラリーでの展示はまさにアーティストにとってはお客さんと出会う重要な場ですもんね。

 

斎藤 ええ、何がストレスかと言えば話しても答えが出るものではないことなんですねえ。また長期化するかもしれないと言われてましたから、コロナより怖かったのは自粛警察です。役場関連は慎重になりますし、地方独特の監視するような雰囲気、東京の人が来たら嫌だよねという意見とか、そうしたものもしんどかったですね。非常事態宣言の解除後は、マスクやソーシャルディスタンスなどの対応をすれば動いていいという方針になったので、そこで気持ちとしてはやっとホッできたかな。総合的に考えると、普通の生活に戻ることに軸足を移したやり方のほうが正しいのかなと私は感じています。

 

――軽井沢方面は感染者は出てませんでしたよね。

 
斎藤 IPS細胞の山中教授が日本では感染者や死亡者が欧米より少なかった理由を「ファクターX」と呼んだでしょ。軽井沢も状況を考えると不思議なんですよ。その不思議を私は個人的に「ファクターK」と言っています。2月には中国からの観光客がたくさん町に入ってましたから。コロナ疎開も話題になりましたけど、軽井沢は東京24区と言われているくらい。それでも感染者が出ないのは、野沢菜を食べているからとか、屋根のない病院と言われている健やかな高原だからとか、堀辰雄の美しい村とされているからとか妄想しました。実は軽井沢にダイヤモンドプリンセス号に乗船していた人がいて、先日「船内でどういうことが行われていたか」を書いた本を出されたんです。その人の話を聞くと、やっぱり不思議なんです。その一方で、いろんなものの化けの皮が剥がれましたよね。そういう意味ではコロナも悪いことばかりじゃない。自然破壊をしてウエルネスリゾートだなんて言ってるような軽井沢の大資本は相当苦労していると思いますよ。
 

――油やさんは展示やイベントなどの企画はいかがですか?

 
斎藤 オープンが遅れたことで、中止を決定したアーティストもいれば、逆に予定をずらしたり、合同展にしたものもありました。イベントはこれからですけど、会場を密にしないためにキャパシティを半分にするわけですよね。もちろん営業的には厳しいけれど、だからと言ってその解決策もよくわからない。赤字必須ですけど、進んで地獄引いても地獄、それでもやるかみたいな話をしています。
 そしてここ3年ほどアーティスト・イン・レジデンスをやっていたんですよ。主に版画作家の方10組が作品をつくってくれました。去年は初めて演劇をやろうということでTCアルプの近藤準さんと草光純太さんが夏にここで滞在して作品をつくってくれた。今年はいよいよ完成版を8月にやる予定です。それらも継続できればいいなとは思っています。

 
 

「鯉恵比寿展」と「森泉智哉展」は合同になっていた

 
 

――公式サイト内では「油や応援講」という企画をスタートされました。

 

斎藤 アーティスト支援ということで突貫工事でつくったんですよ。一つは寄付を募る、もう一つはアーティストグッズを売ってみようということでキックオフすることになりました。とにかくリアルな世界が厳しい状況ですから、ウェブ上の企画でアーティストを支援していただきたいんです。
 たとえば寄付してくださった方への返礼品として、ここにゆかりの作家の作品を差し上げることにしているんです。アーティストが宿泊した部屋がアーティスト部屋になっていて、その部屋への宿泊券もあります。また裏庭の「立原道造・隠れ家プロジェクト」の小屋を1日使用できるというものもある。返礼品が多様なのが面白いでしょ。
 グッズは今後、載せる商品を充実させていくということですよね。今はナカムラジンさんデザインのロゴを入れたマグカップ、「油や」キャラクターの油小僧をデザインしたトートバックなどがあります。理想はアーティストが自分の作品やデザインしたグッズなどを企画してどんどん参加してくれればいいなと。

 
 

 
 
――応援「講」という名前がいいですよね。

 
斎藤 伊勢講とか、えびす講とか、みんなで助け合うという意味合いですよね。古めかしい名前で、少し怪しさもあるのが油やらしいということで、ナカムラさんが提案してくださいました。私、サラリーマン時代にニューヨークに赴任していたことがあって、MoMA(ニューヨーク近代美術館)のサポーターズクラブに入っていたんですよ。現代アートのアーティストにとっては作品を買うことが一番の応援ではありますが、展示会をやったときに入場料を払うとか、いろいろなスタイルで応援することができるんです。そのイメージで「応援クラブ」としていたらナカムラさんが「講」という名前を持ってきてくれて。松本にサッカーの山雅があるでしょ。あんなふうに地域に根ざして、サポーターが応援するというような仕組みの芸術版ができればいいんですけどね。 

 
 

本屋をエンジンにして、文化活動を行ってきた

これをもっと発展させられれば次世代に手渡したい

 
 

――ここの成り立ちについて、教えていただけますか?

 

斎藤 最初は「追分コロニー」という本屋を、私のサラリーマン時代の退職金で始めました。銀行員だったんですけど、本、本屋巡りが好きで、50歳を機に本屋になりたいと思ったんです。それで早期退職して開業しました。それまでは東京丸の内にあるオフィスに毎日中央線の超満員電車で通っていました。追分はうちのカミさんのルーツがある地なんですよ。堀辰雄文学記念館があり、本好きな方がいっぱいいらっしゃるし、本屋をやるには最高の環境です。
 そうこうしているうちに、隣の「油屋旅館」が、そのころはもう営業してなかったんですけど、正式に廃業して売りに出たんです。堀辰雄をはじめゆかりの作家がいっぱいいる旅館です。この建物を守りたいと思い、銀行員時代のノウハウを活用してNPO法人をつくり、維持費はいろんなビジネス活動で賄うからということでスポンサーを募って、油やプロジェクトを始めたのが8年前です。

 
 

 
 

――今ではさまざまな文化やアーティストが交錯する場になっています。最初からそういう場をイメージされていたんですか?

 

斎藤 いえいえ、巨大な本屋にするつもりだったんですよ。本は倉庫がいりますからね。そうしたらナカムラさんがやってきてアートにも活用できるというので、「本とアートで町おこし」ということを考えたんです。そして1階でギャラリー展示を始めたところが、元旅館だから泊まれるよねと。周りに温泉もあるし美味しいもの食べられるから、シャワールームだけつくって、泊まれるようにしてレジデンスも始めました。さらにイベントがしたい、コンサートがしたい、去年は初めて演劇も来ていただいて。人がやってきてはアイデアを出すもんだから、それで徐々に今の形になってきたわけです。

 

――ある意味では、最初からいろいろ面白い人が集まってきていたわけですね。

 

斎藤 助けてもらってはいますね。本屋をエンジンにして、文化活動を展開していくと。まあ文化活動の方は基本的には赤字ですけど(苦笑)。ここまで来たら、もっと発展させたいというか、若い人に引き継ぎたいと思っているんです。とは言え本屋も未来像を描かなければいけない。数は減っているけど、なくなりはしないと思うんですよ。それに本というのはどんな分野とつながりますからね。編集された知の大系が真ん中にあっていいと思うんです。そういう意味では本が好きな人じゃないと難しいかもしれない。それがうまくいったら、油やを拠点として一つのネットワーク、クラブをつくりたいですね。そういう活動が好きな人が集まって、いろんなものをサポートする。今は寄付をしてくれるサポーターが30〜50名くらいいらっしゃるんだけど、だいたい別荘の方々ですね。サッカーのように足元から湧き上がるような形にできたら理想です。

 
 

 
 

コロナ後に期待したいのは、

今も残る封建社会の名残から脱出できるか

 
 

――まだまだ大きな夢に向かって頑張らないといけませんね。今回のコロナで感じたことがありましたら教えてください。

 

斎藤 僕が働いてきた銀行は軍隊的組織、官僚組織といってもいい。まあそれが嫌で辞めたんですけど、上司に対して「No」とは言えないし、忖度は当たり前。突撃命令が下れば先頭を切って突撃する。出世するにはそれが大事です。自分の意見なんてありえない。組織が決定したことは絶対ですが、とは言え現場ではおかしなことが起こるわけですよ。でもいったん決まったら、どんなにおかしくても突き進んでいく。行政もそうですが、そういうのは官僚組織は強い。しっかりしていると言えばしっかりしているんだけど、ここに来てグローバルな視点からすれば日本の地盤沈下は激しいと思うんです。東南アジアの国にも、これからどんどん抜かれていくでしょう。

 

――何がいけないんでしょう。

 

斎藤 封建制度の名残がいまだにありますよね。軽井沢にゆかりのハーバート・ノーマンという外交官が著書の中で、日本の支配構造、精神構造について書いているんです。室町時代に大変革があって封建制度が芽生え、それが江戸時代に完成したと。豊臣秀吉がキリスト教を取り締まるために連帯責任を課した五人組という制度をつくった。キリスト教が一人でも出れば、村ごと取り潰しですから監視し合うし、迷惑をかけられないと個を押し殺すわけですよね。それをうまく使って徳川幕府は完全な監視社会をつくり上げた。その意識が今も残っている。地方だけではなく、大企業の中でも残っているから。会社は大きな一家なんですよ。個々人は自分で判断できず、自立せずに団体の行動様式で動く、AI的な一つの駒にしか過ぎない。それが日本の経済、社会全体の足を引っ張っているというのが私の見立てです。ムラ社会を壊すのは手強いですよ、みんな寄り添っているわけだから。教育も画一的じゃないですか。

 

――ふむふむ。

 

斎藤 サッカーに久保建英くんという若い選手がいるでしょ。サッカーの指導者の方に聞くと、日本はチームの中で下手な選手に合わせてチームプレーをするから弱いんだと。うまい選手は不満を抱いても言わないような教育をされている。パフォーマンス的なプレーをすると怒られたりする。それでは世界に通用しないと日本サッカー協会もわかって、飛び級という制度を取り入れたそうです。とにかくうまい選手がいたら報告してほしいと、それこそ組織の末端にまで指示が出されているんですって。うまい選手は上のランクで練習させて、より高いレベルに選抜されていく。久保くんはそういう環境から出てきたんです。
 日本はチームプレーが推奨されるでしょ? 陸上でもリレーにスポットがあたる。それじゃダメなんですね。突出した何か一つに秀でた人が、みんなを魅了するようなパフォーマンスをするわけだから。教育もその子の長所を伸ばしてあげる必要がある。そこには弊害もあって、付いてこられない子どもはセーフティネットでしっかりカバーしなければならない。でも子どもには子どものペースがあるんだから、合わせてあげればいいんですよ。

 

――9月入学問題などの報道を見ていても、モヤモヤするところはありますよね。

 

斎藤 多様性の時代なのに、躾があって、画一的な教育があって、ムラ社会からはみ出たら叩かれてしまう。自粛警察の根っこもそこにある。もちろん全部が全部ではないけれど、そうした全体主義的な雰囲気が日本全体の地盤を沈下させている気がします。コロナというのはそういう日本の仕組みの変なところをさらけ出した。
 アートも不要不急と言われたけれど、とても大事なもの。豊かさは何も経済ばかりではなく、メンタルなこともある。要は総合的なものであり、多様性の中にあるもの。いろんな価値観を受け入れてやっていけばいいんですよ。そして教育がまさにそう。画一化されたシステムを壊して教育が豊かになれば、アートの地盤も広がるし、画一的ではない社会になるわけです。今回のことが「どういう社会がいい?」という議論につながっていくといいなあという期待はあるんですけどね。コロナはすごく思考訓練にはなりますよ。それでも東日本大震災のときのように元に戻ってしまうのか。僕は本屋ですから、自分の力でできるのは「こういういい本があるよ、こういう意見があるよ」という情報発信するくらい。でもとにかくできることはやりたいですね。

 
 

 
 

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