【今だからこそ文化芸術を語ろう】GOKU(詩人・朗読家)×荒井洋文(犀の角)

「第六感劇場」なるものに挑んだ
GOKU(詩人・朗読家)×荒井洋文(犀の角)

 

映像配信しない、音声配信しない、

そして集まれない

今、演劇に何ができるかにこだわりたい

 

上田市にある、ゲストハウスと劇場が併設された犀の角。真面目な風貌ながら、時おり妙な発想を口にしてくれる代表の荒井洋文が、しばし休館せざるを得ない状況を逆手にとってやってくれた。詩人GOKUとともにスタートさせた「第六感劇場」だ。第1回目の4月11日は、GOKUによるソロLIVEを実施。第六感とは視覚、聴覚、触覚、味覚、嗅覚の五感以外の感知能力のこと。GOKUが桜咲く佐久市某所で朗読を行い、荒井が犀の角で照明を当て、チケットを購入した観客が各自のいる場所でその時間を共有するという企画。バカバカしいと言うなかれ。これはスタッフ・キャストも、お客さんも集まることができない環境の中、演劇人に何ができるのかという真剣な挑戦だ。 ※三密に注意して取材を行いました。

 

 
 
 

――そもそも企画の発端から教えてください。

 

GOKU その夜は、僕と荒井さんがやってきた『犀の夜』の16回目の夜だったんです。チラシを入校するくらいのタイミングでしたよね、ライブなどが中止、延期になるという波がやってきたのは。それでも僕は消毒やマスク、手洗いなど注意事項を守ればやれると思っていたし、荒井さんも準備を進めてくれていた。甘かったことに、今のような状況になるなんて思っていませんでした。どんどん風向きが変わり、やはり難しいとなったときは僕は引きかけたんですけど、荒井さんはそれでも踏ん張ってました。座席数を20に絞り、配信する方向でほかの出演者にも意志を確認して、チラシもつくり直しました。

 

荒井 だけどそれさえリスクが高いからと、窓や扉を全開にして、ドリンクの提供を止め、観客は10人に限定して配信中心でやることも考えたけど、最終的には中止のお知らせをしました。ただ、それでもなんかできないかなって(笑)。

 

GOKU 荒井さんがリヤカー・シアターをやろうと提案してくれました。

 

荒井 建物の中でできないなら外でやろうと。

 

GOKU 三密を避けるという意味でね。リヤカーを荒井さんが引いて、僕が乗ってどこかに移動してやるという。

 

荒井 最初は道路を行こうとしたんですけど道路交通法上まずい。じゃあ上田城公園をぐるぐる回ろうという話になったんだけど、お花見シーズンだからお客さんが集まってきたらまずい。かなりいろいろ考えました。

 

GOKU 荒井さんが次に持ってきたのは、お客さんがいないところで上演する、でもお客さんはそれを配信でも見られないというアイデア。それには「ヤラレた!」と思いました。その手があったかと。誰かに先にやられたら絶対悔しいから早くやりましょうとお願いしたんです。

 

荒井 「ふじのくにせかい演劇祭」が中止になって、SPAC-静岡県舞台芸術センター芸術総監督の宮城聰さんが出した「演劇蟹カマボコ」というステートメントが僕の中で大きかったんです。演劇ができない今、演劇に似たものを発明しようという言葉に非常に勇気をもらった。一方で、長野県文化振興コーディネーターの野村政之さんからは「演劇はまだいけるはずだ。蟹を食えるはず。蟹カマボコは蟹じゃない」みたいな意見を聞いたんです。

 

――観客に蟹を食べてもらうべきだということですね。

 

荒井 はい。それで僕なりの蟹を考えようと。映像配信しない、音声配信しない、集まれないとしたら、逆に俳優と観客の距離を離せばいいんじゃないかと考えたんです。見たい演劇が都合でいけない場合があるじゃないですか。その時って、今やっているよなぁ見たかったなぁという気持ちになりますよね。その時、その人の意識は上演中の劇場に飛んでいると言える。今、劇場に人が集まれない中、その感覚こそが今演劇空間が成立する最前線になる気がして。姿は見えない、声も聞こえないけれども、意識のフォーカスが合うことで同じ時空間を共有していることに、つまり、とてつもなく広くて大きな劇場で演劇を鑑賞してるのと同じことになるんじゃないかと考えたんです。

 
 

SNS全盛の時代だからこそ

相手のことを想像する新鮮さがあった

 
 

 
 

――京都で、劇作家・演出家 THEATRE E9 KYOTO芸術監督のあごうさとしさんが「無人劇」を企画しています。

 

荒井 刺激をもらいました。あごうさんの作品は頭の中で劇場を想像して、頭の中で展開するという概念芸術的な発想だと僕は理解しました。「第六感劇場」は俳優が出演する身体性を伴った上演です。実際に空間を介して、参加してくださった方がつながることが劇場っぽいなと。実際は感じることはできないけど、意識のフォーカスが合うことで声が聞こえてくるかもしれないし、そのために感覚を研ぎ澄ます姿勢が演劇的だと思ったんです。どこまで理解されるかはわかりませんけど(苦笑)。

 

――僕自身はGOKUさんの声を知っていたので、イメージとか記憶が呼び覚まされる形で事前に公開された詩を時間に合わせて読みました。

 

荒井 僕は最初、照明のオペをしながらテキストを読んだんですけど、そうすると詩を読んでいるGOKUさんを頭の中で空想しちゃうんです。あ、これはダメだと思って。

 

――じゃあ僕もダメだ(笑)。

 

GOKU あはは。それじゃあ六感にならない。
 
荒井 だから詩を最初に読んで自分にインストールしておいて、その言葉を思い浮かべながら某所にいるGOKUさんにチャネリングしたんです。トップからの明かりをつくって座禅状態になっていました。そうすると、なんとなく彼方から意識が飛んでくるような気がしたんですよ。
 
GOKU それは荒井さん流のやり方。楽しみ方はその人が開発してくれればいい。僕は某所から犀の角の方角を向きながら、あの山の向こうだなって思いながら朗読したんですよ。そのときに視界が犀の角の舞台から観客を見ている感じになる瞬間があったんですよ。自分を客観的に見るんじゃなくて、舞台に立っている自分の視野になった。後から考えるとその瞬間に意識が飛んだのかもしれないなって。
 
荒井 おー。チャンネルが合った瞬間かも。僕もなにか飛んでくる瞬間があって、これは聞けているのかなって。
 
GOKU どこか違う場所で意識が結ばれていたのかもしれない。
 
荒井 御牧ケ原あたりに劇場空間が現れたのかな。声が聞こえたことが本当か嘘かはどっちでもよくて、そういう感覚を得たことが面白かった。お客さんにも聞いてみたいよね。今回はお客さんもどこにフォーカスしていいかわからなかったと思う。次回はそれを調整しなければいけない。僕は最初、神社の境内で奉納としてやりたいと言ったんです。神様という大きなものになら、僕もフォーカスしやすいから。

 
 

撮影:ねこもと

 
 

GOKU 僕は犀の角がイメージしやすかったんです。そうしたら荒井さんがやる前に神社に参拝してくださいって(笑)。近くに神社があったから参拝して、その写真を送って某所に移動したんです。
 
荒井 オペしていて、感じようとしたけれど感じられなかったことに対して、寂しさを感じたんです。その寂しさは何年も感じたことがないもの。SNSなどで簡単に連絡できちゃう時代に、それが良かったんですよね。その寂しさは携帯電話もポケベルもなかった時代に似ていた。
 
GOKU 相手のことを想像するというね。今、何をしているかなって。僕らが子供のころは想像する以外になかった。
 
荒井 身体感覚として距離や不在を感じることが新鮮だった。
 
GOKU スマホが普通の時代に育った人たちは「ハチ公の前で8時にね」という待ち合わせが絶対できないと思うんです。家を出てからどこで会うか決めるみたいな。僕らは先に場所を決めておいて、そこに行くしかなかったもんね。その体験が久しぶりにできました。
 
荒井 「第六感劇場」でやったことって新しいことではなくて、むしろ古いことなんだよね。
 
GOKU そうそう、昔の人はできたのかもしれない。現代に生きる僕たちができなくなってしまっただけかもしれない。
 
荒井 そこに月とか、海や山、桜が介在して、
 
GOKU 自然が媒介するものとして、アンテナというか意識を飛ばす道具になってくれているのかも。
 
荒井 俳句も花鳥風月などを季語を入れる形式ではあるけれど、自然を背景に意識することで、伝わる人には伝わるような仕組みなのかもしれないですね。
 
GOKU 確かにそうだね。満月の日にやってみたら面白いかも。
 
荒井 でもスピリチュアル系とか宗教的なものにならないように気をつけたいね。
 
GOKU そこ、すごく大事です(笑)。

 
 

見えないものに価値を持ってくださるお客様がいた

そのことに感動したんです

 
 

 
 

――お客さんの反応はいかがでしたか?

 

GOKU フェイスブックに情報を上げたときは、その文面だけでは想像できない人も多かった。どうやって見るの?という問い合わせもありました。「第六感劇場」というタイトルにすべてが込められているんですけど、こういう時期だから皆さんつい配信をイメージするんですね。

 

荒井 そんな状況の中で20人が参加してくださいました。20人がチャネリングしていると思うと、かなりまとまった数ですよね。それはすごくうれしかった。犀の角が休館しているから、応援しようとしてくださった方も多いかもしれないけど。

 

GOKU 荒井さんから投げ銭の形にしましたと言われたとき、僕はぶっちゃけ「ありがとう、でも誰も投げ銭しないよ」と内心思っていた。それがチケットを買って参加してくれる方がいた、見えないものを想像することに価値観を持ってくれた人がいた。もうそのことに感動しました。

 

荒井 事前に詩をフェイスブックにアップしたことも、本当にやるんだ感が出たよね。

 

GOKU 僕らの本気度が伝わったかもしれません。僕は定番の作品がないのでライブのときも前々日くらいに選ぶんです。今回は荒井さんがテキストは事前に載せておいたほうがいいって言ってくれたんですよ。もう優秀なプロデューサーです!

 

荒井 これ定期的に実験していきたいですね。共演者を増やしていきたい。

 

GOKU 次回は僕が朗読して、どなたかが演奏して、荒井さんが照明を担当するみたいな。この状況だから生まれたことだけど、この状況が終わっても実験的に時々やってみたいですね。まだあの人たちやってるの?みたいな(笑)。

 

荒井 今、SPACではzoomで演劇のトレーニングを公開している。まさに蟹かまぼこ。演劇ではないけれど演劇っぽい何かであるのは確かですよ。でも僕は演劇人としては蟹にこだわってみたい。とは言え、現実問題として犀の角が空いてしまっているから、設備を整えて映像の配信もしていきたい。両方を試してみたいと思っています。

 

GOKU 僕にとって犀の角は実験的なことをやれる場所なんですよ。荒井さんの演劇という掌の上で僕が飛び回っているようなもの。僕は演劇の人間ではありませんが、荒井さんと一緒にやっていると、演劇の中にいるのかなって気持ちになります。極めて実験的なことを振ってくれるし、僕もそれに応えたい。安定はしてないんですけど、それが楽しいんです。

 
 

 
 

GOKU
詩人/朗読家
自作の詩を朗読することから活動を開始。
その後「人の言葉も声に出すと、声に出した人の言葉になる」と、
小説、漫画、絵本、チラシ、テレビの番組欄などを読み始める。
その傍ら、音楽や演劇、ダンスや美術作品とのコラボレーションにも積極的に取り組む。
もっぱらの関心ごとは人が目の前で直接何かをしてくれること。
それを見続けるために自らオープンマイクという、
ステージ上で、何をやっても自由と言うイベントの主催をライフワークとしている。
ブログ「ことばのさきに、こえでこぎだす」はこちら

 
 

荒井洋文 Hirofumi Arai
長野県上田市出身。大学在学中に京都市で演劇活動を開始。
公益財団法人静岡県舞台芸術センター制作部に所属後、
上田市で文化事業集団「シアター&アーツうえだ」を発足。
街中や里山での演劇を軸とした文化芸術活動のプロデュース等を行っている。
2016年、上田市中心商店街の空き店舗をリノベーションし、
演劇やライブ等で使用できるイベントスペースとゲストハウスを備えた
民営文化施設「犀の角」をオープン。
様々な表現活動や地域住民・アーティストの交流の場として運営している。
近年はアーティスト・イン・レジデンスに重点を置いた事業を展開。
上田街中演劇祭を2016年より開催。
一般社団法人シアター&アーツうえだ代表理事。
公式サイトは、こちら

 

撮影:ねこもと

 

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