[聞く/entre+voir #011]山岸吉郎さん (イルフ童画館館長)〜新たな公共に挑む〜②

イルフ童画館館長 山岸吉郎さん

 
 

岡谷市のまちづくりの中心は、武井武雄のブランドがふさわしい

 

岡谷市にイルフ童画館という、岡谷市出身の武井武雄の作品を中心に収蔵、展示している美術館がある。武井は「子どもの心にふれる絵」の創造を目指し、自ら『童画』という言葉を生み出し、大正から昭和にかけて童画、版画、刊本作品、さらには玩具やトランプのデザインなどさまざまな分野で活躍したアーティストだ。規模は決して大きい施設ではないが、生誕120年を記念した2014年の全国巡回展、『武井武雄の本』(平凡社)、『武井武雄 イルフの王様』(河出書房新社)、『武井武雄手芸図案集 刺繍で蘇る童画の世界』(文化出版局)などの出版、武井作品をデザインにあしらった有名ブランドのTシャツ製作と、ダイナミックな活動が目を引く。その仕掛け人である山岸吉郎館長を訪ねた。
 

武井武雄(提供:おかやブランドプロモーション協議会)

 

武井武雄の需要は日本全国、いや世界各国にある
◉山岸さんはどういう経緯でイルフ童画館の館長に就任されたのですか?
 
山岸 前職は広告代理店で、マーケティングが専門でした。実は民間のノウハウを入れて、この街をもう少し活性化させることを狙った岡谷市のまちづくりマネージャーとして採用されました。それまで岡谷には全く縁はありませんでした。岡谷の活性化については「ものづくりでと」思っている人が多くいます。確かに岡谷市の発展の歴史はものづくりでした。でも現状の市全体の資源を見回したとき、そして時代を考え、日本のほかの地域と比較したとき、そして日本のみならず世界をマーケットと考えたとき、この街のブランドとして発信するには武井武雄がいいと私は思いました。それで武井を中心に据え、そこから日本中に発信する戦略・戦術を考えた企画書を書いたのです。国内での巡回展のこともそのときすでに盛り込みました。武井武雄の生誕120年が2014年だから今から準備しましょうと。2009年のことです。それが通らなければたぶん岡谷にはいなかったでしょう(笑)。その企画書がきっかけかどうか、市役所から館長をやらないかと打診があったわけです。

◉そこからむしろ止まってはいられなくなったわけですね。

山岸 そうですね。2011年ごろから新聞社やテレビ局、メジャーなメディアにいろいろと知り合いや伝手をたどってコンタクトを取りました。自分のネットワークを駆使したわけです。その中からNHKサービスセンターと全国巡回展をやることが決まった。イルフ童画館はあくまでも地域の公立館ですから基本的には岡谷市民のためのものです。だけど地元では武井武雄がすごいアーティストであり、岡谷が彼の出身地だということが当時あまり認識されていなかった。地方都市というのは東京などの大都会で話題になるとあとから興味を持つ傾向があります。だったら東名阪での展示会を行おうと考えたわけです。そのときは、NHKサービスセンターには、高島屋あるいは三越のような老舗の百貨店でやってくれと頼みました。美術館の方が設備的にはいいのですが、広告宣伝効果を優先に考えました。とにかく日本全国に武井武雄の素晴らしさをアピールしたかったのです。また、その前後にはあらゆる出版社に声をかけて、武井関連本を出版してもらうようにプレゼンテーションしました。
 

表_金印刷仕上がりイメージ
 

◉展覧会の集客はどんな感じでしたか?

山岸 100,000人はゆうに越えました。高島屋は東京、横浜、京都、大阪で開催しました。名古屋では開催できませんでしたけれど、愛知県の豊橋市美術博物館でやりました。それから、石川県の小松市立宮本三郎美術館、鳥取県の米子市の近くにある南部町祐生出会いの館、そして岡谷市と縁の深い群馬県富岡市の福沢一郎記念美術館へと広がっていったのです。以後も規模は大小さまざまですが、多くの地方の美術館から武井展をやりたいという依頼が届きます。今年もまた栃木県鹿沼市、山口県周南市で開催する予定です。
全国巡回展の前には大々的な武井展はやってはいませんでしたが、武井武雄は、それだけの価値があるアーティストであることは間違いありません。武井の魅力をマーケティングしたならば、市場は間違いなく日本全国に、また世界にあります。その第1弾として実施したのが全国巡回展だったわけです。

 

巡回展の様子

巡回展の様子

 

巡回展の様子

巡回展の様子

 

◉巡回展は仕掛けの第1弾ですよね、きっと?

 
山岸 戦術の第1弾といえるかも知れませんね。仕掛けといえば、例えば本を出すのは難しいことではなくて、出版社に声をかければある程度は動いてくれます。出版ではありませんが、2016年秋にはデザインTシャツのグラニフとコラボ商品を作りました。原宿に店舗を持っている、若い人に大変人気の高いブランドですね。最初にアポを取ったときは「武井って誰?」という感じでした。けれど実際にその作品を見てもらえば若いデザイナーたちの反応が180度変わって非常に盛り上がりました。特に女性のデザイナーの方々がぜひともやりたいと積極的になってくれて、2017年の予定が2016年に繰り上がりました。武井武雄にはそれだけ若い女性を惹き付ける魅力があります。今の時代に充分通じることが証明されました。全国レベルで考えたら知名度はまだまだ低くて、もっともっと上がってもいいアーティストだと私は思います。彼が創造したキャラクターもたくさんありますし、さまざまな場面で使ってもらえる可能性が無限にあると思っています。
本当にラッキーでした、武井の美術館の館長をさせてもらったことは。ほとんどまっさらなところから発信するわけですから、少しでも作品を見てもらったら、日本の大手マスコミだって武井の素晴らしさは100%理解します。
 
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武井武雄の時代を先取りした感性が大正末から昭和初期に誕生したことこそが驚き
 
◉岡谷シルクを素材に、雑誌の『装苑』や文化服装学院のテキスタイル科とコラボした「キヌコレ」もユニークですよね。

山岸 一昨年行いました。キヌコレは<おかやブランドプロモーション協議会>の会長として仕事です。昨年も趣向を変えてやりました。シルクの生地は岡谷市が提供して、文化服装学院の学生にスカーフのデザインをお願いする、それらをインターネット上でハンドメイドマーケットを運営しているミンネに販売してもらおうという企画です。『装苑』はそれをドキュメンタリーとして誌面で扱ってくれました。それが今後売れていけば、イルフ童画館や、あるいは市立蚕糸博物館などにもお願いして拡大していこうと思っています。また毎年できるように頑張りたいと思いますが、費用の捻出が課題です。
岡谷のシルクは有名だけれど、糸繰りが主で、「もの」として差別化できる魅力が見当たらないと思いました。クオリティがほかに比べ抜群に良いかと言えば、専門家に何度も聞いたのですが明確な答えはありません。だったら武井と組もうと。武井をブランドとして使えるのは岡谷市だけですからね。絹で武井デザインのアロハシャツを作るとか。武井は好んで夏はアロハシャツを着ていました。奥さんの手作りのもので、デザインは自身で行いました。それと同じものを岡谷シルクで作るのです。少しくらい高くても購入してくれる層はあると思います。武井という存在はほかの地方にはないのだから、こんなすごい武器はないですよ。これから東京でもいろいろな仕掛けを考えようと思っています。
 
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◉改めて山岸さんが感じる、武井武雄の魅力はなんですか?

山岸 やっぱりデザイン的な魅力だと思います。時代を先取りしていますね。すごくモダンな感性で、作品が証明していますが、このようなモダンなデザインに挑戦をしたアーティストが大正末から昭和初期に創作していたこと自体信じられません。もし武井先生が50年遅く生まれていたら、確実にデザイナーに、それも世界的なグラフィックデザイナーあるいはイラストレーターになっていたと思います。武井武雄の作品は本当にユニークなのです。しかもアーティストとしての確かな技術もあります。一つの宇宙を武井は構築していますから、こんな魅力ある宇宙を売らないわけにはいかないし、その作品を見た人たちは必ず感動します。
◉山岸さんの中では、世界発信も視野に入っているのですか?
山岸 世界が認める画家であることは間違いないです。一部のプロモーターからヨーロッパで展示をしてみる気はないかという話も実際あります。武井の絵は特にヨーロッパで感動を与えると思います。海外の作品を日本に持ってきているプロモーターとか、日仏協会みたいなところでチャンスがあれば武井のプレゼンテーションをしようと思っています。朝日新聞、読売新聞などは事業部が海外でも展開しているので、そういうところに声をかけてもいい。可能性は大いにあります。いずれにせよ、動かなくては何も生まれません。

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