美術と歩幅 #001 「浸透するイメージ、観る人、場所 ―山城大督「The Projected Image Laboratory」をみる。」

浸透するイメージ、観る人、場所 ―山城大督「The Projected Image Laboratory」をみる。

 松本で、山城大督の個展「The Projected Image Laboratory」を見た(Parades Gallery、2015年5月23日〜31日)。同展を構成するのは《HUMAN EMOTIONS/ヒューマン・エモーションズ》Reconstruction matsumoto ver.と《映像とオブジェクトのスタディ》の2作品。前者は、ガラス玉、陶片、楽器など、さまざまな品々が配された空間に、1歳、5歳、7歳の子どもを迎え入れ、時計(?)の指示・助言・教唆に従う/こだわらぬ、彼らの28分間の行動を捉えた映像(モニターで呈示)をコアとするもので、モニターの周囲には映像に登場した品々が再配置され、全体として、ひとつのインスタレーションを成す。一方、《映像と〜》は平置きされたモニター面にプレパラートやガラスのオブジェ、1片の柑橘などが置かれ、それら個々のモノが直下の動画像と緩やかに同期・反応する(ように見える)作品で、映像の再現性・抽象性と、ヴァーチャルとフィジカルの相即性の、さらなる相即を感じさせるものであった。

 おそらく《HUMAN〜》は、子どもたちの年齢差に応じた情動のあらわれと、その交感にミクロな「社会」の発現を見据えつつ、同時に、徹底監視と宥和的な指示・誘導に統御された実「社会」の構造をほのめかす試みでもあるだろう。また、《映像と〜》にも、接触や変容に、絶えず規則や原因・因果を求める我々の性情を逆手に取るような批評性が垣間見えるが、ともあれ、両作の明らかな共通点は、モニターのインターフェイス性、すなわちフレームのこちら側とあちら側を相互浸透させる媒介力の強調であろう。

 そう、要するにつながっている感じなのだが、この感覚がギャラリーの空間ともよく響き合っていたと思う。Parades Galleryは通りに向けて広く窓が開かれていて、なかで作品を見ている我々が、実は通行人に見られていることがままある。あるいは、その逆も。作品を見ながら、通行人を眺める。知人を見つける。挨拶を交わす。ギャラリーに引き込む。あれこれ話して、さてまた作品へ。この敷居の低さは何なのか(じっさい窓からギャラリーに入ることさえできそう)。通りとの相互浸透を徹底肯定するこの新しいギャラリーのあり方は、松本で現代美術を見せる、そして楽しむヒントにもなりそうだ。Parades Galleryの今後の活動に大いに期待したい。そして、もちろん、この魅力に気づかせてくれた山城さんと企画のawai art centerに、あらためて、心から感謝!

Parades Gallery 山城大督_画像2

awai art center

 同時代の表現を私たちの立つ地点と同じ地平にひらく場です。アートギャラリーを筆頭に、地方でアートを様々な角度から楽しむことができるよう複合的な役割を果たすことを目的としています。 2015年6月現在、松本市内に実質的な【場】をひらくため準備中です。その間も展覧会やイベントの企画などおこなっています。 http://awaiartcenter.tumblr.com/

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