[聞く/entre+voir #007] 平賀研也さん (県立長野図書館館長)〜新たな公共に挑む〜①

県立長野図書館館長 平賀研也さん

 

僕が目指したいのは“地域の一部分”としての図書館

 

平賀さんに初めてお会いしたのは、伊那市図書館が「Library of the Year」を受賞した少しあとのことだ。博物館や図書館など公共施設に眠っている地域の昔の地図などをデータ化し活用しようということで、「高遠ぶらり」というアプリを作った時の話をうかがいに行った。「やりたいと思ったらごちゃごちゃ言ってないでやればいいんですよ」と何度も言われた。それが公共施設の責任者の言葉だからこそ新鮮だった。このサイトもある意味ではその産物なのだが。そして県立長野図書館に就任された平賀さんがSNSで発信する大量のメッセージからは、既存の図書館の立ち位置を超えようとしているのが伝わってくる。

 

学校教育、社会教育の世界は

情報化から確実に取り残されている

 
◉平賀さんはもともとは一般企業で働いていらっしゃったんですよね?

 

 元ビジネスマンですね。専門は企業法務で、途中から経営企画、事業企画にも取り組みました。企業に社内報ってあるでしょ? 法務をやるのに、会社の事業や今起きていることを理解するのに一番いいからとその編集を担当したりもしましたよ。15年前に伊那に移住してからは、シンクタンクの研究広報誌の編集の仕事もしました。

 社内報では、取材はもちろん、写真も撮り、原稿も書き、レイアウトもやったし、版下も切ってた。写真をスタジオに出して焼いてもらって、トレペかけてトリミングの指示をしたりも。たかだか30年前ですけれど、印刷物はそうやって作ってた。1983年にMacが出てきて、スティーブ・ジョブズがこれからはDTPの時代だ、写真も図もテキストも全部自分の机の上のコンピューターだけで作れるんだと言ったころ僕は社会に出たわけ。でもたまたま学んだ前時代の編集のプロセスはすごく楽しかった。入社した年にワープロが企業の中に入ってきた。法務だから契約書を作るでしょ? それまではタイピストに手書き原稿を打ってもらっていたのが、フロッピーディスクに雛形を入れておけば自分でどんどん作れる時代に入っていった。

 

◉今の便利さを考えれば信じられないかもしれませんが、そんな時代は実はほんのちょっと前のことですよね。

 

 そうそう。今僕が図書館でやっていること、図書館でやりたいと言っているのは、情報と情報、情報と人、人と人をもう一回つなぎ直そうということ。それは僕が30年前に社内報の編集とその後の情報や創造のイノベーションを通じて実感したことからきているといってもいい。

 80年代の半ばまではごく限られた部門が大きなコンピュータで情報処理をしていたのに、情報化が一人ひとりの机に降りてきた。それまで分業でやっていたことを一人でできるようになった。そして90年代に入ると、コンピュータはコミュニケーションの道具になり、グループワークの時代になった。今なんかFacebook上でファイルを送りあって一つのことを進めたりするの、当たり前でしょ。アウトプットをしたり、編集物ができたり、プロジェクトを回したり。それが始まったのが1990年ころ。2000年代になるとインターネットの時代になり情報発信ができるようになった。

 だけど、その流れから取り残されたのが、学校教育、社会教育の世界だと僕は思っているんです。美術館、博物館、図書館もそうだよね。

 

いきなり強烈なワンパンチを放ってくれた平賀さん。会社員時代にアメリカの大学で勉強する機会を得たことが伊那に引っ越してくる布石になった。日本以上の競争社会を戦っていたアメリカのビジネスマンが、40、50歳になっても大学に通い直したり、新たな世界へ飛び込んだり、また一方で夕方には帰宅して家族と過ごす時間を大切にしたりなど会社に縛られない自由な生き方をしているのを目の当たりにしたのだ。それはマネジメント側にいる人たちではあるが。平賀夫妻は、自分たちの暮らしを見直す。それからしばらくして、富山和子の著作「ひみつの山の子どもたち」に出会う。そこに書かれた溝上淳一先生の教育に惹かれたのだ。公立小学校の先生ではあったが、教科書は使わず、自然と地域のくらしとのふれあいの中で子供を学ばせた。溝上先生に会いに行ったのがきっかけで伊那にやってきた。

 
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図書館が情報と人、人と人の関係をつなぎ直す

 

◉伊那にはすぐに引っ越すことになったのですか?

 

 その時は二つ選択肢があって。一つは、今までのようにビジネスマンとして働くこと。でも日本は窮屈でいやだから、シンガポールあたりの企業でね。もう一つは、学生のころから地域やコミュニティ、まさに公共ということに興味があったんですね。伊那には、いろんな資源、自然、公共が持っているハコモノもあり、移り住んだ人ももともと住んでいる人も含めて魅力的で、ここなら何かできそうだと可能性を感じたんです。

 最初の2年間は会社の退職金とわずかな蓄えで遊んで暮らしていました。もちろんただ遊んでいたわけじゃないけど(笑)。お金がなくなってもなんとかなるさ、みたいな感じだった。その後公共政策シンクタンクで編集の仕事を始めて。週の半分は東京に通ってましたが、せっかく住んでるのに、このままじゃ別荘族と同じだと思い、市の審議会の公募委員に立候補したりもした。

 そのうちに図書館の館長を公募するというので、年収は東京にいたときの3分の1以下だったけど、面白そうだと思ったんですよ。というのは、企業でも情報を扱う、情報と人をつなぎ直すことで経営改革をする担当をしたんだけど、伊那もまったく同じで、情報と人、人と人とのミスマッチがものごとを停滞させていると感じたわけ。それを図書館でつなぎ直せたらと思ったんですよ。だって図書館は情報の塊だし、人は来る。

 就任したのは2007年。ところが館長になってみたら、図書館の現状は僕が高校生だったころとなんら変わっていなかった。とにかく本を読みましょう、「本が大事」という場所だった。でも、当時副市長だった白鳥市長も教育委員会も、お金も人もくれなかったけど(笑)「あなたの思うようにやってくれ」と言ってくれたのでチャレンジすることができたわけです。

 

◉それで最初に手がけたことってどういうことだったんですか?

 

 溝上先生の話じゃないけれど、伊那の暮らし–––ものに触れたり、食べたり、かかわりあったりしながら、実感を持って何かを学んでいく、知ることの楽しさが地域にあることが素晴らしいと思って移住したわけ。また実際に子育てしながら、地域の人のくらしや考え方の中にもユニークなことがあると感じていた。だから、本を読むだけじゃなく、みんなで語ったり、外に出て本物を見たり触れたりする中で、何かを知るような場所にしたいなと。

 だけど最初から外には出られないから最初は図書館の中で始めたんです。例えば、子どもたちに図書館の中を探検させるとかね。それはうちの息子を図書館に連れて行った時に、好きそうな本があったので「これ、探してみなよ」と言ったの。そしたらいきなり検索機でカチャカチャやって「あるよ」って。でもその本が図書館のどこにあるかはわからない。だからと言って図書館の仕組みを教えて探させてもつまんないだろうから放っておいたら、彼がなんか館内をぐるぐる歩き回って、「こんなでかい本がある」って美術書を探し出してきたり、電話帳をさらにぶ厚くした帝国データバンクの本を探し出して楽しんでいた。その時に「あ、そっか」と。僕らは本とか情報とか言った時に中身を指すんだけれど、モノとしての面白さもあるんだと気付いて、子どもたちに図書館を探検しよう、宝探ししよう、なんてことをやったんです。

 

「高遠ぶらり」が地域住民が

図書館に主体的にかかわることを考えるきっかけに

 
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◉その発想は、図書館で育ってきた職員では思いつきませんね(笑)。

 

 まあ(笑)そこから少しずつ外に出ていって。そして2010年にiPadが出たでしょ。たまたまビデオデッキやテレビをリプレイスする時期だったので、もう全部パソコンにしようと。それで電子書籍元年なんて言われた年でもあったし、PCを増やすと同時にiPadを10台を入れたんですよ。本だけじゃなくて、デジタルなものとみんなは仲良くできるか試してみようと思ったんですけど、あんまり使おうとしないんです。当時アーカイブがどんどんオープンデータ化していたので、「国宝の絵図がこんなに拡大して見られるよ」とか「こんな情報源もあるんだ」とかいろいろ面白いことと出会えると思ったんだけど。

 同じように、小説や料理の本ばかり借りられて、地域の図書館が力を入れている郷土の資料なんて誰も借りないという現実もある。長野県の図書館ならどこにでも市町村史どころか村落史が並んでいて、面白いことがいっぱい書いてある。未来に役立つような話もあるんだから。どんどん捨てられていく地域の明治以降の資料や写真もなんとかしたい。だったらみんなでデジタルアーカイブを作ろうよと思ったわけです。でもアーカイブ作っても使われないかも、と思っていた時、地図のアプリの開発元の人と出会って、これはイケると思ったわけです。その時に今も伊那市立高遠図書館にいる諸田和幸君が唯一周囲で興味を持ってくれたから、彼と僕が図書館の側から、あとは市役所や街の人たちに集まってもらって 「高遠ぶらりプロジェクト」がスタートしました。地図のアプリなら活用しようと思えるし、さらに一緒に作るところから始められる。デジタルを活用して情報の幅を広げること、地域の人が自分たちで編集して情報資産を作り蓄積すること、すでにある情報資源を活用することが同時並行で動き出した。できあがったアプリが、高遠藩があった江戸時代の古地図やイラストマップの上に自分のいる場所を表示して街歩きを楽しむ「高遠ぶらり」です。

 この「高遠ぶらりプロジェクト」によって地域住民が図書館に主体的にかかわることを考えるきっかけになったんですね。そしてここでも実感を持って学ぶ際に、ICT機器(情報機器)を通して、フィールドで本物を見ながら図書館やWebの情報を手に入れられるということも経験できた。またそこにはデザイナーや建築家、システムエンジニアなどもかかわってくる。こうやっていることが、姿が、図書館だよねと思えましたね。そもそもの図書館に関わる法律を見ても美術品収集はじめなんでもありだと書いてある。講演会も、ワインを飲みながらのフラメンコやブルースのライブもやりました。図書館は知る場所であるというベースさえしっかり考えれば、何でもできるってことなんです。

 

高遠ぶらりプロジェクトの様子

高遠ぶらりプロジェクトの様子

 
高遠ぶらりプロジェクトの様子

高遠ぶらりプロジェクトの様子

 
◉その2011年から、小布施町立図書館まちとしょテラソ、伊那市立図書館、塩尻市立図書館/えんぱーくが立て続けに、「Library of the Year」を受賞します。その流れの根底には何があったんでしょうか。

 

 「Library of the Year」自体、図書館業界的にはともかく、一般的に認知度の高い賞ではありません。でも、3館も受賞している都道府県は他にない。

 僕が図書館長になった年に、小布施の花井裕一郎さん、佐久市立図書館の加瀬清志さん、大町市立図書館の原連陽さんが公募で図書館長になった。花井さんは映像編集者、加瀬さんは放送作家、原さんは小説家で中国では日本語放送をやっていらした。たまたま全員が情報としての映像や言葉をエディットする人で、そしてそれぞれに面白い取り組みを始めたんです。

 小布施は、行政ではなく、町の人が一緒に考えて作る図書館ということで、市民が集まって議論を重ねてでき上がった。花井さんは「わくわく」をキーワードに掲げていましたね。単なる本の倉庫ではなく、そこに人が集うスペースが埋め込まれている。「静かに!」という図書館ではなく、人が交流し、話ができる。議会報告会やシンポジウムもやっている。そこで花井さんは映像アーカイブを中心に町のことを編集して収蔵したんだけど、取材を通して人びとを巻き込んだわけです。

 塩尻は、地域、コミュニティーに開いた建築空間と、そこに地域の企業や人が入りこんでサポートしながら、自分たちのネットワークから人を呼んで「本の寺子屋」などをやったりしている。今までの図書館が個人が本と向き合う空間だったなら、小布施は交流しようと開いた。塩尻はそれらをすべて取り込み、入ってみると何か始まる、みんながつながることを触発するような空間になっている。

 
◉図書館が地域の情報を軸に交流の場となっていったわけですね。今までの図書館は交流とは逆の場でしたもんね。
 
 3館それぞれですが、似たような文脈ですよね。地域の人が知ることや創造すること、表現することを自分ごととして関わり、それが地域のいろんな場面で役に立つというイメージを形にしている。その時に思ったのは、この数年、ブックカフェとかまちライブラリーとか、街の人たちが始めた本に関わることがたくさん生まれてきている。まちライブラリーなどは交流して知る刺激的な空間を自分たちで作り、新らしいコミュニティを形成し始めた。その動きは、僕らが図書館という場から地域へにじみ出て行ったことと同じですよ。個人、本屋、カフェ、商店街の側から地域のつながりを取り戻そうとしている。さあ興味があるならいらっしゃいと。僕は、市民の側から起こった動きと、公共の側から起こる動きがどこかで交わり一緒になったらいいなと思うんです。

 
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