『長野A(アート)ターン』④

「わたしの身近な東京-諏訪をつなぐArt その2 –《キヌコレ》-」


《キヌコレ》。
2月13日に岡谷のカノラホールで開催された、
岡谷シルクを使ったファッションショー。

ところで。
‘岡谷’という場所にぴんとこない方に説明する時に、
わたしはよく、この2つのどちらかで表現する。
「中央高速道のインターチェンジがあるところ」と、
「昔は製糸業、いまは精密機器が盛んなところ」。

それに対して人がだいたい反応するのは、
「インターチェンジ」そして「精密機器」のどちらか。
「製糸業」となると、よほど歴史に興味のある人しか関心を示さない。

そんな、かつて‘製糸業のまち’だった岡谷。
ある時期には日本の生糸の4分の1を生産していたと習ったことがる。
その全盛期には、大小数百本の製糸工場煙突がそびえ立ち、
繭倉として数え切れないほどの赤レンガ倉庫があったそうだ。

今はその面影はほぼ消えてしまったけれど、
わたしが小さい頃はまだ時折、
繭を煮る匂いを感じることがあった。
シルクファクトおかや(※)内にある宮坂製糸所さんの作業場にいくと、
懐かしいと感じられるその匂いが今でもただよう。

これは岡谷に限らないようだけれど、
小学3年生頃になると、
自宅で蚕を育てて生糸にするという課題があった。
米粒程度の蚕は、桑の葉の栄養だけであっという間に大きくなり、
当時そのふにゃりとした白い姿が薄気味悪かったため、
わたしはその世話をすっかり母に託していた。

そんな記憶がぽつりぽつりとよみがえる蚕、そして生糸。
ところがよく思い返してみると、
わたしはこの生糸(岡谷シルク)を身に付けたことがない。
まとったことがなかった。

岡谷シルクの衣装を生で見てみたい!

そう思い立ったら、わたしのフットワークの軽さはすばらしい。
あっという間にあずさに乗りこんでいた。

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さて、この《キヌコレ》。
文化服装学院ファッションテキスタイル科の学生さんと、岡谷シルク、そしてファッション雑誌‘装苑’のコラボレーションで生まれたファッションショーである。

準備期間の8ヶ月ほどの間に、文化服装学院の学生さんたちは夏の岡谷を訪れ、
シルクファクトおかや、イルフ童画館、そして諏訪湖などを見学し、
作品のイメージを膨らませたそうだ。

学生さんたちは16のチームに分かれ、
それぞれに岡谷シルクをつかった作品づくりを開始。
コンセプトづくり、デザイン、生地加工、裁断、縫製、
どの作品をみても気の遠くなるような手作業だったに違いなかったが、
どれもコンセプトがしっかりしており、ストーリーがあり、
こんなにも若い人たちが一生懸命に岡谷シルクと向き合ってくれたことに、
わたしも含め、観にいらしていた岡谷の人たちは感動していた。

そして1つ、皆さんの衣装で特徴的なことがあった。
青色が多かった。
それは、彼らが昨夏に見た、
岡谷の空、山、そして諏訪湖の青なのだろうか。
コンセプト発表のときにも、「岡谷の自然(湖や山など)をモチーフにした」
という話がいくつかでてきていた。

軽やかな衣装をまといランウェイをかわいらしく歩く
学生モデルさんをみながら、
思い出したことがある。

昔、何かのプロジェクトで岡谷を初めて訪れた方々が、
会議室から見える夕闇のなかの諏訪湖を見て、
「外周の建物の明かりがつながってきれいに見えますね。
光るリングみたいですね」とおっしゃったことがあった。
言われるまで、わたしはそのことに気が付いていなかった。

あまりに日常すぎて、見過ごしていたこと。

そんな外から見えたままの感想や印象やイメージのなかに、
実はたくさんの魅力、そして
まちづくりのヒントが詰まっているのかもしれない。

外から来た方に‘おらが地元のいいところ’を指摘されるのは、
少し恥ずかしいような、悔しいような気もする。
でもこんなにも一生懸命で、素直で、熱心な学生さんたちから
岡谷シルクの制作を通してそのことを伝えてもらえるのならば、
頭を掻きながら「そうかぁ」と頷いてしまえるだろう。

これからもこのファッションショー続いてほしいな、
と深く、強く思った、春まだ浅き岡谷の1日。

(*)シルクファクトおかや:製糸工場(宮坂製糸場)を併設する蚕糸博物館。http://silkfact.jp/

《キヌコレ》
平成28年2月13日(土)に、カノラホール
小ホール(岡谷市文化会館)にて開催。
イベントサイトは、こちら

※写真一部提供:野村祐未さん

キヌコレチラシA4

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